閉鎖された箱庭世界/神様への不信

といったネタを自分は好き過ぎる。そういうフレーズを聞くだけでわりとハアハアできます。多分、一番最初に認識したのって『BASTARD!!』だとは思うんですけど、思春期以降そのまま抜け出せないでいる。


(方舟編面白かったなあ)


スレイヤーズ』で魔族が幅を利かせてる一方で神様陣営の影が薄いのは、主人公たちがいる世界に、魔族の張った結界によって神様の力が届かないから。『オーフェン』も外から隔絶された大陸が舞台で、元々は物理法則に過ぎなかった神様は、実体化すると単なるでっかい力がある化け物に過ぎなくて、大陸を脅かす(秋田は『ひとつ火の粉』も神様がどうした世界がどうしたって話だ)。『スクラップドプリンセス』も閉鎖世界が舞台で、善神と思われていたものは実は人間の敵だった。あとは神様が確実に存在していて、世界のありように影響を及ぼしていると信じられている『十二国記』とか、漫画では、『封神演義』もそうだ。まだまだ思いつくけど、ここらへんでやめとこう。


なんでああいう設定に自分があれほどハマったかというと、既存のものは何でも疑ってかかるっていう、思春期に特有の物の観方にジャストフィットしたからじゃないかと思う。

スレイヤーズオーフェンも閉鎖世界の話だなあ。あれか、十二国記とか藤崎竜の諸作みたいなゲーム的な箱庭世界とあわせてセカイ系以前の厨房センスの発露の仕方か。


なんにせよえらく世界への信頼がないことだな。思春期の挫折が世界への不信につながるとかそんな感じですか。

http://d.hatena.ne.jp/hatikaduki/20060715#1152971529


多分この通り。で、個人としてはそんな感じなんだけど、こういうのに時代性?流行り廃り?ってあるのかなあ。多分児童文学の世界なんかでは昔から普遍的にあるとは思うんだけど、ライトノベルでは2000年代に入ってから減ったような気もする……けど、実際のところよく分からない。そもそもラノベにおけるファンタジー自体が減ってるから?やっぱり、異世界ファンタジー=作り物の箱庭という認識が強いからこそやりやすいのかなあ。『キノの旅』とかは、世界全体が、っていうより一つ一つの国が箱庭で、それが点在してるような状態だし、なんか微妙に(自分の望んでるものとは)違うんだよな。


じゃあ現代(以降)を舞台にした、そういう世界への不信というか、既存のものに懐疑的な視線を向けてる話というと……あれか、胡蝶の夢、とかそういう方向になるのか。この世は夢か幻か、みたいな。ラノベだと『ナイトウォッチ』シリーズとか。これはどっちかというと、アニメの方で多い気がしますね。夢は、現実の続き。現実は、夢の終わり。実写に対して、アニメーションというものの虚構性がどうのこうの、とかそういう話?


あとは狭義のディストピアもの。私の知ってるのでは『未来世紀ブラジル』とか『リベリオン』とか。ラノベでは……なんかあったかなあ。『キノ』はどっちかというとこっちか?徹底的に管理・統制された、自由のない社会からの逸脱、とかそんな感じでうまくやれば、思春期ハートをがっちり掴めそうな気もするんだけど。


……あー、駄目だなー。言葉に振り回されてる感がありありと。要整理。