牙の塔の劣等生
指輪物語のエルフ、ガンダムのニュータイプ、星界シリーズのアーヴ。古今東西の物語は理想化されたもしくは現在の人類の未知の可能性として、新人類、亜人種といったものを数多登場させてきたが、「魔術士オーフェン」シリーズ(1994-)における人間の魔術士もその内のひとつだ。
わたしはできれば、魔術戦士などという肩書きで戦力として数えられるのは嫌だね。納屋の農具と同じ数え方をされてる気がする。
この世界では、人間の魔術の素養は、遠い昔に滅んだ異種族との混血に因る。完全に遺伝的なものなので絶対数が少ない上、訓練に数年かかり、その過程で魔術を暴発させ死んでいく人間も珍しくない。その才能に気づかず眠らせたままということもままあるようだ。
魔術は便利な能力だが、神々の扱う魔法と違い万能というわけではない。人間のそれは音声魔術と呼ばれ声をトリガーとしていて、声が届かない範囲には効力が及ばす、持続時間も短い。明かりを出すような簡単な魔術でも保って一時間とされている。また一部の例外を除いていわゆる物理面にしか作用しない。これらに加え強い力を持つ者への非魔術士の偏見、差別とそれに呼応する魔術士社会の閉鎖性により、設定としては、人間社会全体が魔術がないと立ち行かない、というレベルまでは至っていない。ただ比較的魔術への抵抗が薄い土地ではジュースの氷を作ったり救急医療の最終手段といったこともあるようだ。
さて、我らが主人公オーフェンは、魔術士養成機関の最高峰〈牙の塔〉のエリートである。彼を含めた同窓生は皆魔術、特に戦闘に用いるそれのエキスパートだ。では、彼らが便利で有意義な能力の持ち主だからエリートなのかというと、間違ってはいないが、それだけではないのではないか。
ひとつには、魔術士が迫害されていた時代ほど生命を脅かされることがなくなり、軍事力としての魔術がそれほど必要とされていない、という背景がある。また十数年かけて魔術を身につけても、前述したような理由から、それを活かす就職口があるとは限らない、という現代におけるポスドク問題のような事例も作中で報告されている。要は、魔術自体はなるほど有用な能力かもしれないが、マッチングがうまくいかなければ意味がない、ということだ。例外は多分作中唯一の公に認められた魔術士の軍事組織である《十三使徒》と、作中魔術士の職業?として最も多く登場する「教師」くらいか。
ていうか、十何年もさんざん苦労して魔術の制御法を訓練してきたあげく、地下書庫で誰も読まない古本の整理とか犬一匹近寄らない遺跡の警備とか魔術を使って氷作りとかの仕事に回されると、いきなり自分の人生に疑問を持っちゃう人がたくさんいるみたいです!困ったもんですね
では何故、(少なくとも作中に登場した限りでは)魔術士のエリート=(戦闘用)魔術の実践的な使い手であるかというと、これはどちらかというと優秀であることの象徴、あるいは精神性が大きいのではないか。自制を尊ぶ魔術士であるから、自らの能力に振り回されず使いこなすことができる奴が偉い。迫害を受けてきた歴史から独立独歩を旨とするため、それを可能にする武力を持ってる奴が偉い。また魔術を使用するための構成理論は難解であるから、知能の高さも保証される(《塔》ではこれと並行して一般教養についてもレベルの高い高等教育を行っているそうだが)。
それは恐らく、現実の就職活動においてしばしば、高校野球で甲子園の土を踏んだとか、そこまでいかなくとも体育会系出身者が高学歴者同様に企業に求められる、というのと根っこの理屈は同じだと思う。別に企業は野球をさせたいわけではないけれど、ある種の精神的功夫をそこに求めて、彼らを採用したがる。魔術士社会もそこを重視する。そして精神性の問題であるからこそ、ただでさえ前時代的な、暗殺者なんていう存在であるキリランシェロは、ちやほやされると同時に疎まれ、一度人生のタイトロープから転落したらそれまでだったのではないだろうか。
魔法科高校の劣等生がらみの話題を眺めながら、そんなことを考えた。