魔術士オーフェンはぐれ旅 我が館にさまよえ虚像/秋田禎信/富士見ファンタジア文庫

我が館にさまよえ虚像―魔術士オーフェンはぐれ旅 (富士見ファンタジア文庫)


ついに最接近領の領主と対面したオーフェン。しかし、どうも彼に助けられたと思しきクリーオウとマジクの様子がおかしい。信用できる相手がいない状況で、オーフェンはダミアンに探りを入れていくが……?


ロッテーシャ曰く「はっきりとした敵を見つけたくて仕方がない」「何を疑っていいのかわからない」オーフェンは、終始イライラ。でも、そんな中でもダミアンだけは最初からはっきりと「こいつは信用ならない」とかたくななまでに認識していて、だからそれが覆ることなく(オーフェンからしてみれば)ホントに信用ならない奴だったというのは、逆に意外だった。最終的にチャイルドマン教室メンバーによるフルボッコで、ダミアンは消滅。ここまでの小者キャラってのも秋田作品では珍しかったな。クオは元より、思わせぶりなことを嫌味ったらしく語るキャラとしてもアイネストほどじゃない。それがいいか悪いかはともかく、悟りを開き、テーマを体現するキャラとなったオーフェンの踏み台にされた感アリアリだった。

俺になにがあると思った?魔術の強さでいえば、フォルテにもティッシにも及ばない。精度では、コルゴンに勝てるかどうか自信はないな。生物的な限界をいえば、そうだな、逆立ちしたところでレキに勝てるわけはないな。ダミアン・ルーウは大陸でも最も優れた魔術士のひとりだろう。殴り合いの技術なら、ウィノナだってたいしたもんだ。剣ならロッテーシャに習うか?さて、俺になにがある?

だけどな……だとしたらティッシにはなにがあるんだ?フォルテには?レキには?ダミアンには?彼らには余人にはない特別な運命だかなんだか、そんななにかがあると本気でそう思うか?

分からないか?特別なものなんてなにもないってことに関しては、誰もが同じなんだ。誰もがつまらない個人に過ぎない。稀有な才能?秀でた能力?そんなものがそれを覆したりはしないんだ。できることだけをすればいい。力を持つことが魔術士の運命なら、それでできることをすればいいんだ


オーフェンとマジクの対決では、「超人は世界を救わない」というオーフェンひいてはこの作品の思想が、ようやく完成を見た。「最強」の二文字を冠するキャラがひしめく世界ならではの解答だった。印象的なのは、「俺は今まで、誰の役にも立ったことなんてねぇよ」という台詞。読者も、そしてマジクも「そんなことはない」と思っただろう。オーフェンの自己評価が異様に低いのはいつものことだし、アザリーのことを思えばそういう実感があるのも仕方ないんだろうけど、どうもここら辺ってオーフェンの思想と表裏一体というか、「自分が誰かの役に立つ人間だ」ということを認めたら、「超人は世界を救わない」という思想が崩れてしまうんじゃないか、ということを恐れていた気がした。20年経過しても、その葛藤は続いているようだ。

  • 神様が現出してしまい、その姿に理想を裏切られたドラゴン種族や人間種族が、自分たちの手で作り上げた神様=領主やロッテーシャ?
  • イラストのコルゴンの鼻がやたら高い。この時期の草河絵はみんな鼻が高いんだけどコルゴンは特に。草河先生もこいつの高い鼻っ柱へし折ってやりたいとか考えてたんだろうか。
  • ロッテーシャの正体が分かった後では、ティッシに命乞いするシーンは尚更見てて痛々しい。彼女としては懇願してるつもりが、相手を支配しようとしていたということなのか。
  • ウィノナとロッテって、どっちも依存心が強いから同属嫌悪で憎しみあってたのかな。ウィノナがコルゴンのことを好きだったって言うのもありそうななさそうな。