魔術士オーフェンはぐれ旅 我が心求めよ悪魔/秋田禎信/富士見ファンタジア文庫

我が心求めよ悪魔―魔術士オーフェンはぐれ旅 (富士見ファンタジア文庫)


エドに復讐を誓うロッテーシャを連れて、一行は自治都市アーバンラマへ。アーバンラマ編の前編、もしくは3巻にわたるドッペルイクス編の中編。


タイトルの意味は当時よく分からなかったけど、「約束の地で」を読んで、この悪魔ってウェーデンボリ―が言うところの「天使と悪魔」の後者、「外部から自分のいる場所だけを切り取って内にこもるもの」すなわち聖域のことを指してんのかな、と思った。


ロッテーシャが出奔して、結果としてマジクとクリーオウを危険に晒したのは、まあオーフェンの対応のせいと言ってもいいのかな。コルゴン関連抜きでも、ふっつーに苦手意識からロッテに対してちょっと冷たいよね。成長型主人公だった西部編から、東部編においては「超人は世界を救わない」という作品のテーマを象徴する存在になったオーフェンは、なにしろテーマを象徴するからして、テーマ的に正しい。正しいことを言うし、それを実行する力もある。が、それがオーフェンっていう一人の青年の「行動」として出力される時、いい結果を生む担保になるわけではないというか。必ずしも作品世界に肯定されるわけではないというか。未熟な年少者を諭す年長者、という役割すらうまくこなせない。


前巻でぼかされていたエド=コルゴンは、今回も明言はされない(ドラマガでネタバレはされてたけど……)。だから尚更、コルゴンの「我は放つ光の白刃」に痺れた。声に出せば何でもよくて、その内容は何でもいいという世界設定から、同じ呪文を使うというのは、その二人に何らかの繋がりを示唆するとか、ナイス応用。そして登場してから2巻分で一度しか魔術を使ってない、というのがコルゴンのコルゴンたる所以だ。

  • ラストでティッシが出会った、コンラッドの義理の息子である学者ってマヨールの実の父親だったりして。フォルテがなんか訝しんでたし。
  • アーバンラマってことで無能警官のことを思い出すけど、直接名前は出ないし、登場もしない。いい按配。ちなみにこの時点ではまだ無謀編でコギーたちは退場していない(この巻が99年10月発売、「これで終わりと思うなよ!」がDM00年3月発売号)。
  • ロッテの「策」はコルゴンにも通用したらしい。そこらへんが「気取ったところで、あなただってただの男でしかない」ってことなのかしら。「……あなたは、エドと同じです」「わたしに優しくない」と合わせてゾクゾク来るね。