魔術士オーフェンはぐれ旅 我が命にしたがえ機械/秋田禎信/富士見ファンタジア文庫

我が命にしたがえ機械 (富士見ファンタジア文庫―魔術士オーフェンはぐれ旅)


バルトアンデルスの剣を持ち逃げした地人兄弟を追ってクリーオウ・マジクと旅に出たオーフェンは、古都アレンハタムに辿り着く。そこには何やらオーフェンと浅からぬ因縁の女性がいて……。


1巻を書き上げた時には続きを書くなんて予想していなかった、という秋田の言葉を信じるなら、あの旅立ちの終章は後になって付け足されたものなのだろうか。多くのラノベのシリーズ物(特に新人賞受賞作からスタートしたもの)がそうであるように、このシリーズも実質的に2巻からスタートしている。言わばパイロット版であった1巻の設定の幾つかを意図的に無視し、登場人物や世界設定、基本的な話の構造などシリーズ通しての骨組みが、この2巻で組み上げられる。1巻の初稿時のタイトルでもあった「バルトアンデルスの剣」がいきなり破壊されたのは象徴的だ。また、その持ち主であったアザリーもしばらくは表舞台から姿を消す。


こちらで言われてる通り、ドラゴン種族や魔法と魔術の区別など、基本は北欧神話から引用しつつも既存のファンタジーから少しずつずらした、(「火の粉」「エンハウ」と違って)かっちりとした世界設定がこのシリーズの魅力の一つであることは間違いない。しかし、それにしても、この巻で開陳される設定の嵐はすごい。マジクの覗きで声の届く範囲なら魔術は作用すること、「助かれ!マジークッ!」で呪文は何でもいいこと、殺人人形に声を封じられたことにより魔術士なんて喉でも掻っ切っちまえばそれまでよ、なことなど黒魔術の特徴を1巻の中で読者に理解させてしまう辺りはさすがなのだけど、それでもまだ膨大な設定を全然消化しきれない。こういった「設定厨」的なところが後に奈須きのこ川上稔が登場する下地になった、というのは私見ではあるけど、そう間違ってないはず。


また、設定がきちんと世界に与える影響を描写しているのも嬉しい。この巻では異なる種族・勢力間の対立がそうだ。神々、6種のドラゴン種族、地人種族、人間種族。人間種族の中でも魔術士、ドラゴン信仰者、王室、キムラック教徒などに勢力が別れ、さらに魔術士の中でも牙の塔や霧の滝などが対立していて。誰が悪いわけでもなく、自分の居場所以外に足を踏み入れれば、軋轢が生まれる。ステフが街のために動いたところで、自分を迫害した街の人間と和解できるわけでもない……。そういった壁は後々キムラック編でもクローズアップされるのだけど、その鍵を握るのがクリーオウとなっている。


そのクリーオウについては、子どもの頃は病弱だったと告白し、弱い人間がどうこうと語る意外な一面を見せる。「(彼女の)この微笑が続いているかぎりは、とりあえずまあ大丈夫なんだろう」とオーフェンが覚悟を決めるラストには、第2部のあの暗い展開への萌芽を見たような気がした。


一方、前巻では魔術士を夢見る美少年という以上のキャラではなかったマジクは、クリーオウの水浴びを覗いたり初対面の女性の容姿から生活態度までをチェックしていたり、宿屋の息子らしくしたたかな面が描かれる。「弱者は搾取されるもの」という現状に文句を言いつつも甘んじているマジクだけど、この巻から急激に魔術の才能を開花させ始め、その向上心の強さから、自分を認めない師に段々と不満を募らせていく。当時は「後輩が自分よりつけるかもしれないって不安は、ほかのどんな種類の嫉妬よりも強い」(自分の中でシリーズ通してかなり印象的な台詞)なんて言ってないでもう少し褒めてやれよオーフェン、と思っていたけど、まあ、オーフェンオーフェンで師弟の間柄について色々思うところがあるからなあ。

余談

  • クリーオウが水浴びしてるシーンのカラー口絵により自分がこのシリーズを手に取るのが少し遅れたのは言っておかなきゃいけない。サービスシーン自体より、ファンタジーだから水浴び、という想像力に対するこっぱずかしさが、多分あった。
  • Tシャツに野良ジーンズとかヒロインのコスチュームじゃないよなー。別にファンタジーだからビキニ鎧着ろとは言わないし、これはこれで魅力あるけど、アピール力不足なのは事実。アニメではなんか色々可愛い格好もさせられてたっけ。
  • 「強い力を手に入れるためなら、多少馬鹿なことでもする」ってのは後のコルゴンへのdisですか。
  • 「折れるくらいなら最初からくっついてんじゃねえよ」ってすごい発言。
  • バジリコック砦が生物の姿を模しているということに何か意味はあったんだろうか。