魔術士オーフェンはぐれ旅 我が絶望つつめ緑/秋田禎信/富士見ファンタジア文庫

我が絶望つつめ緑―魔術士オーフェンはぐれ旅 (富士見ファンタジア文庫)


アーバンラマ編後編でありドッペル・イクス編完結編。オーフェンレッドドラゴン、天人種族の遺産から生み出された森VSディープドラゴン、コルゴンとの再会と東部編の中でも派手な展開が連発する。対レッドドラゴン戦は珍しくオーフェンが主人公補正らしきものを発揮して、力技での勝利。元《牙の塔》決戦能力トップの面目躍如。踏み台にされたヘルパートさんはご愁傷さまでした。


この巻では、「魔術士とはどういった存在か」というニュータイプ議論ばりに繰り返されてきた主題が、オーフェンを中心に再び展開された。オーフェンは、誰に与えられたものでもあっても、もう既に自分の手足以上の何物でもない魔術と、時には魔術以外によって守りたいものを守ることを決意し、そして実践する。その姿はクリーオウにとっての、そしてこの「魔術士オーフェン」という作品が提示したい、魔術士としてのあるべき姿だ。


そのクリーオウは、ディープドラゴンの魔術という分不相応な力を手に入れしまったことで、「絶望」というものを思い知らされる。『我が胸で眠れ亡霊』において魔術士になりたがった彼女と、「魔術士にはならないほうがいい」と言って彼女を諭したオーフェンのことを考えると、胸が痛い。そんなことがあってもレキを忌避したりしない辺りが彼女の特質ではあるのだけど、それが後々の物語に暗い影を落としていく。


マジクは、完璧な構成が身についても通用しない相手がいることを知り、魔術士の憂鬱に陥る(オーフェン談。実際は違うような気がするけど)。


オーフェンと同質で正逆の存在であるコルゴンは、魔術に、というか魔術士であることにアイデンティティーを依存しない。局面によって名前を使い分けているのは、何物にも束縛されないことの現れで、それが強さの秘訣なのかなーなんて思ったけど、「キエサルヒマの終端」を見てるとひどく危うい生き方ではあったんだろうな。

  • 「だからさ……それだけじゃないってことさ。ぶん殴った後、そいつが肝心なんじゃない?そだろ?一生忘れられないような言葉で決めてやらなけりゃ、復讐なんて終わりゃしないってもんさ」ウィノナのこの言葉を、ロッテーシャは後々ちゃんと実行したのだな。
  • 魔術士同盟のおっさんたちがみんなラシィと同じ肩に星のついた制服着てるのは不意討ちだった。地の文の「赤と黒を基調とした服」って、秋田的には「獣」でハーティアが着てたような奴を考えてたんだろうに。
  • クリーオウは、オーフェンの心の中に何を見たのか。オーフェンがああまで動揺してたってのはやっぱりそういうことなのかなー。
  • クリーオウに寄りかかられて「悪い気はしない」とか、この時点でもう既に結構ラブラブ。