「スレイヤーズ」の後継者である「オーフェン」、その歴史的な位置付け?

デモン・スレイヤーズ!―スレイヤーズ〈15〉 (富士見ファンタジア文庫)我が聖域に開け扉〈下〉―魔術士オーフェンはぐれ旅 (富士見ファンタジア文庫)


先日「スレイヤーズ」語りをした絡みで、富士見の代表作としてセットで挙げられることが多い「オーフェン」の話を少し。とりあえず現時点での考え。信者フィルターがかかってると思いますが、ご勘弁を。


オーフェン」の重要な点ってのはどこにあるかというと、それは、売り出し方です。富士見書房が自分とこの新人賞で獲得した新人を、自分とこで売れるような方向に誘導して、実際に売れた、ということに意味があると思います。


秋田禎信のデビュー作である「ひとつ火の粉の雪の中」を読んだ人は分かると思うんですが、これはもう「オーフェン」とは全然路線が違う。少なくともこの作品を書いた人間のどこをどう叩いたら「我が呼び声に応えよ獣」が出てくるのか、見当もつきません。違う部分は、文体、キャラクター、全体を包む雰囲気、色々ありますが、一言でいうと「アニメとか漫画とかの面白さ」ということに尽きると思います。


この言葉は、「オーフェン」最終巻のあとがきに出てきたものです。デビュー作を出版した後、彼は編集部に書いては持ち込み、書いては持ち込み、を繰り返していたそうです。しかし、反応は芳しくなかった。そこで彼が求められたのが、「アニメとか漫画とかの面白さ」だそうです。


これも抽象的な表現ではあるのですが、なるほど、少なくとも「火の粉」にそういう面白さがあるとは思えません。やたら文章が抽象的だし、キャラクター性にも乏しいし、視覚的な面白さに欠けます。うまくやれば結構面白いんじゃないか、という気もしないでもないですが、アニメ化しやすいとはとても思えません。


これらの指摘を受け、出来上がったのが「我が呼び声に応えよ獣」です。今読んでみると、文章もどこか硬く、まだ書き慣れていない感じを受けます。しかし、2巻、3巻と重ねていく内に、キャラクター性も増し、独自の世界観を構築して、話を自分のものにしていく様子が伺えます。


ライトノベルは、漫画などに比べて新人賞受賞作がそのまま人気に、というパターンが多い。しかし、富士見では決してそうではないんですね。ここらへんは電撃と比較されることが多いんですが、受賞作の続編を出す作家が少ないんですよ。数年経ってシリーズ化を半ば前提とした新作でヒットを飛ばす、というパターンが多い。秋田禎信はその成功例です。彼に続くのが、雑賀礼史榊一郎あざの耕平……と、えーと他に誰かいたかな?案外少ない。逆に受賞作の持ち味をそのまま活かして人気作家に、というパターンの代表例が神坂一で、これには冴木忍清水文化星野亮などが続くんじゃないでしょうか。


オーフェン」は、「スレイヤーズ」の後継者として挙げられることが多いです。共通項は幾つか挙げられます。西洋ファンタジーっぽい世界観。主人公が魔術士(魔道士)で、でも肉体派で、神秘性なんか欠片もなくて、乱暴者、という過剰なキャラクター性。シリアスな長編とギャグメインの短編、両方で人気が出たこと。1巻で1度話が完結しているのにその後長く続いたことなど。


その中でも私の場合、特にインパクトが強かったのが、キャラクター性。これは、前述した「アニメとか漫画とかの面白さ」と一致するのではないでしょうか。そういう面白さを前面に押し出した売り出し方においては、確かに「オーフェン」は「スレイヤーズ」の正当な後継者なのだと思います。しかし、問題はそういう面白さがその作家本来のものなのか、後から付与されたものなのか、ということです。


この辺りの作家性の違いは、アニメ化にあたって顕著に出ています。神坂一は積極的に関わり、TV版ではシリーズ構成、劇場版では脚本もこなしています。一方、秋田禎信は「小説は小説、アニメはアニメ」という感じで、スタッフに一任しているようなところがありました。一度、脚本を読んでクリーオウの口調が違うとか言ったそうですが、そのくらいじゃないでしょうか。その結果、アニメから入った人間はともかくとして、原作ファンには黒歴史扱い。もっとも、だからといって原作者がもっと口を出していれば満足の行くものができたかと言うと、そうは思えません。それは私自身が、原作小説に対して、「アニメとか漫画とかの面白さ」以外のものを求めているからです。それはアニメでそのまま表現できるものではない。だからこそ、アニメでは逆にそういう「アニメとか漫画とかの面白さ」を追求して欲しかったのに、それができていなかった。


アニメ化と同期して「オーフェン」2部以降、秋田禎信は変わっていきます。より凝った言い回しを追求するようになり、「アニメとか漫画とかの面白さ」は鳴りを潜めました。それをデビュー作である「火の粉」のそれに回帰した、というのは微妙に違うような気もしますが、こうなるとやはり、「オーフェン」の売り出し方は元来の作家性とは微妙に異なるものだったんじゃないかなあ、という気はします。今現在でも、神坂一が当時のノリで「スレイヤーズすぺしゃる」を続けているのとは対照的。


ただ、誤解しないで欲しいのは、私は「アニメとか漫画とかの面白さ」と秋田禎信本来の作家性が同居していたオーフェン1部(特に終盤)を面白いと感じていたことです。要はバランスの問題ですよね。1部中盤〜終盤においてある意味理想的なところに位置していたバランスを、2部以降は欠いていった。だからつまらなくなったという人の意見もよく分かるけど、、まあ私としては好きなものは好きだからしょうがないのです。というお決まりの結びで、現在「ファンタジアバトルロイヤル」で連載中の「パノのもっとみに冒険」は面白いよと主張しつつ、終わり。


そういえば、まだ神坂一って40前半なんだよなー。で、秋田禎信は30代前半。いやはや。

コピペ

秋田になにがあると思った?発行部数で言えば、水野にも神坂にも及ばない。
最近の一冊辺りの売上では賀東に勝てるかどうか自信はないな。執筆力的な
限界を言えば、そうだな、逆立ちしたところで栗本薫にかてるわけはないな。
田中芳樹ライトノベル界でも最も優れた作家のひとりだろう。
デビューしてからの勢いなら、上遠野だってたいしたもんだ。
下ネタならあかほりでも読むか?
さて、秋田に何がある?


だけどな……だとしたら神坂には何があるんだ?水野には?栗本薫には?田中芳樹には?
彼らには余人にはない特別な文章力だかなんだか、そんな何かがあると本気でそう思うか?


書かれた当時の流行り廃りを感じさせますね。