今年2012年、秋田禎信がデビュー20周年を迎える

生い立ち〜デビューまで

秋田禎信は1973年、姉二人の下に末っ子として生まれた。東京都出身。


幼い頃は既成概念に懐疑的で*1、無意味なことをああでもないこうでもないと延々考えている子どもだったという。生っぽい女性キャラ像は、学生時代に女女したものを見せられたことが原因のひとつであるとか。小説や映画、カートゥーンなどは専ら洋物趣味。特に著作に影響を与えていると思われるのはロス・マクドナルドマーガレット・ミラートレヴェニアンといったハードボイルド/サスペンス/ミステリー小説を著した作家たち。日本人では安部公房などの名を挙げている。最近では量子力学などの学術書を読むことも。


創作活動を開始したのは中学生から。最初はその頃読んだものの一場面を何も見ずに文章として書き起こすようなことを繰り返していたらしい。高校三年生(17歳)の時、アルバイトをして買ったワープロのタイピング練習も兼ねてちゃんとしたものを書こうと思い立ち、富士見書房主催の第3回ファンタジア長編小説大賞に「鬼の話」を応募。幻想的な雰囲気、押韻を繰り返す独特のリズムを持った文章などが評価され、準入選を果たす*2。該当作を大幅に加筆修正し、「ひとつ火の粉の雪の中」と改題して1992年に富士見ファンタジア文庫から刊行。これがデビュー作となった。


ひとつ火の粉の雪の中 (富士見ファンタジア文庫)

ひとつ火の粉の雪の中 (富士見ファンタジア文庫)

オーフェン」のヒット

高校卒業後は、専門学校に進学。並行して編集部に持込を重ねる。担当編集者に指摘されたのは、アニメや漫画の面白さを小説にできないか、ということだった。そこで秋田は「機動戦士ガンダム」の「なんか叫びあいながらビームサーベルでつばぜり合い」というイメージを参考に「魔術士オーフェン」を執筆。1994年、第一作「我が呼び声に応えよ獣」刊行。アクが濃く生っぽいキャラクター、翻訳小説に影響を受けた文体、軽妙な掛け合い、ハッタリ満載のアクションシーン、大多数の人に共有されたものから微妙にずらした魅力的で膨大な世界設定……。「世界と対峙する一個人」という主軸こそ共通しているものの、読み物としての感触は「火の粉」とはまるで違うものだった。だが、あれよあれよという間に本作は人気シリーズへと成長していく。秋田自身は「獣」刊行と前後して印刷会社に写植オペレーターとして就職し、しばらくは兼業作家として活動していたが、1年半ほどして退職。専業に。98年にはTVアニメ化もされ、シリーズ開始から2003年の完結まで「スレイヤーズ」と共にファンタジア文庫の看板を担った。


魔術士オーフェンはぐれ旅 解放者の戦場【初回限定版】

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テーマ性とエンタメ要素

2000年代に入ってからは一部「オーフェン」と並行しつつ、幻想世界を舞台にした哲学的なFT「エンジェル・ハウリング」、密室サスペンス「閉鎖のシステム」、ヒーロー物コメディ「愛と哀しみのエスパーマン」、正統派ライトFT「シャンク!!」などを執筆。30歳を迎えるこの時期から、現在まで変わらない秋田の作家としての指向性が段々と明確になり始める。それは「目的/ゴールのない物語は不幸」というものだ。(大長編の代表作を持つ作家が往々にしてそうであるように)シリーズ物はどうしても作家が時間的に拘束され、他のことができなくなるということが不満でもあったらしい。結果、最初からある程度こうと決めた尺の中で、「超人の否定」「信じること」「安易な回答の拒絶」といった類のテーマ性の濃い作品を打ち出していくのが基本路線になっていく。


……作家というのは誰でもそういうものかもしれないが、オーフェン東部編以降の秋田作品は常にそうしたテーマ性とエンタメ要素とがせめぎ合っていたように思える。その点で後の就活コメディ「誰しもそうだけど、俺たちは就職しないとならない」は全編これ秋田らしい掛け合いで構成されたコメディでありながら伝えたいことも分かり易いという、秀逸な作品だった。逆にテーマ性が剥き出しなのは社会派SF「機械の仮病」か。



そうした姿勢から生まれた作品群をある読者は受け入れ、ある読者は退屈だと感じ、去っていった。また当時の秋田は「オーフェン」のヒットである程度自由が利く環境にあっただろうが(作家にとっての“自由”がいいことかどうかは一概に言えないけど)、それでも前述したシリーズ物の拘束など含め*3、当時急速に確立しつつあったライトノベルという枠の中だけでは窮屈に思えたのかもしれない。2006年にはきゆづきさとこの漫画を原作としたノベライズ「パノのもっとみに冒険」を発表。これは何かがツボにはまったのか、以降積極的にこなしてく原作つきお仕事の第一弾*4である。自身、富士見での仕事の中で「一番出来がよかった」ものとして挙げているのだが、これを最後に、秋田は3年ほどライトノベルからは距離を置くことになる。諸事情から富士見書房から著作の版権を全て引き上げていることが判明するのは、もう少し先の話だ。

ジャンルに囚われないゲリラ的な執筆活動へ

2007年、初の四六版単行本「カナスピカ」を講談社から刊行。素朴なジュブナイルSFである本作は、秋田がエージェント契約を交わした元角川・富士見の編集者によるエンタメ企業「T.O.Entertainment」が出版社との仲介をした作品であり、以降も同社は様々な形で氏の執筆活動に関係していく。これを皮切りに秋田は前述した「就職」「仮病」に加え、士郎正宗×Production I.G.原作「RD 洗脳調査室」ノベライズ、SF西部劇「ベティ・ザ・キッド」、覆面作家競作企画「冥王星O」、ニトロプラスエロゲーのファンディスク「装甲悪鬼村正邪念編」、SFニンジャアクション「ハンターダーク」と、ジャンルや媒体に捉われないゲリラ的な活動を現在まで続けている*5。サイトでの連載から始まって完全限定生産の秋田禎信BOXを経由し、2011年に完全復活に至った「オーフェン」新シリーズもその一環と言える。


カナスピカ (講談社文庫)

カナスピカ (講談社文庫)

誰しもそうだけど、俺たちは就職しないとならない

誰しもそうだけど、俺たちは就職しないとならない

個人的なこと


誤解を恐れずに言うと、自分が秋田作品を今現在も追いかけているのは、面白いからとか、知見を広めてくれるからといった理由からではない。もちろん個々の作品は面白いものも知見を広めてくれるものもあるし、最近の作品では「ベティ・ザ・キッド」辺りは文章を追ってるだけで脳内麻薬がどばどば出るし、10年前ならそう答えてもよかったのだけれど、今現在秋田禎信という人にまずそういうものを求めているかというと、少し違う気がする。


多分、生まれ育った場所は一生をそこで過ごすことになっても遠く離れていても気になってしまう、というのが今の自分の心境に近いかなーと。その上で、その場所の変わった部分変わらない部分を目の当たりにして喜怒哀楽様々な感情を覚える。実際に秋田を見ていて、以前と比べると自作のテーマをあとがきで語るようになったり一時期の尖ってた頃を比べて丸くなったのかなでも作品自体に関しては前より頑固になったかなーどうかなーといったふうに、変化を感じることは最近少なくない。でも、秋田の動向が気にしてしまうというのは、今後積極的なファン活動をweb上でしなくなっても、新刊を心待ちにして発売後即購入即読了しなくなっても多分変わらないだろう*6


最後になりましたが、秋田先生、作家生活20周年おめでとうございます。不肖のファンではありますが、これからもよろしくおねがいします。

*1:テレビ番組でも自分の思考でもまずは自分なりのツッコミを入れることが創作において大事なのだという

*2:同期に大林憲司、葛西伸哉、護矢真、原山可奈がいる。また第2回準入選の小林めぐみは秋田の一学年上で、彼女も高校在学中に応募した作品で受賞を果たしている。秋田との親交も深い

*3:ラノベ枠でシリーズ物メインでない作家活動をしている例外は結構いるし、秋田くらい実績があればそれも可能ではと思うのだけど、裾野を広げること自体は悪いことではないんだろう

*4:「スペル・ブレイク・トリガー!」もそう言えなくもないか?

*5:ゲリラ的活動というのは往々にして形に残りにくいものだが、秋田は作品の一回性というものを重視していて、手に入らなくなったらそれまでというのもコンテンツのひとつのあり方だと考えている。雑誌連載だけで単行本にせず完結する企画というものを画策したこともあったし、新装版などを出す際も基本的に原稿は手を加えていない

*6:……10年後20年後にはまた全然違うことを言っているかもしれないけど