野武士のグルメ/久住昌之/晋遊社

野武士のグルメ


『かっこいいスキヤキ』『孤独のグルメ』の原作者によるグルメエッセイ集。「自分が生きてゆく道すがらで、腹が減ったとき、そこにあった店に入る。なければ、入らない」という野武士に憧れるけどなかなかうまくいかない小心者のぼく=作者が、街の食べ物屋で出会った食べ物、人、光景について綴る。


孤独のグルメ』のゴローちゃんみたいなキャラの面白さはないけれど、こちらの方が食べ物の味は丹念に伝わってきた(なんせゴローちゃんは「感じ感じ」の人だから……)。


特に美味しそうだな、と思ったのは「殿様の麦とろ飯」「かっこ悪いスキヤキ」と、上に挙げた「タンメンの日」。「殿様の麦とろ飯」は、かきこむ時の「ドゥルドゥルドゥルドゥルーッ!」といういかにも漫画家らしい擬音や、「殿!こ、これは、うもうござります!」といった台詞回しが面白い。それだけに、最近増えている牛タン付きの麦とろ飯があまり好きじゃない筆者が、やっと肉無しの麦とろ飯を食べた時の空しさとが際立つ。「かっこ悪いスキヤキ」は「生卵に包まれた謙虚な感じの肉」「ちょっと醤油のしみた白滝のクネクネが卵のトロトロと合う」「長ネギは鍋と違ってトロトロになり過ぎずかといって焼肉のようにすぐに焦げる割に中が生ということがない」と散々煽っておきながら、いざ店に行ってみると仲居さんに仕切られて自分のすき焼きができなかった、というオチが楽しい。「タンメンの日」は晩秋、風邪を引きそうな寒気がして、何か栄養のつく温かいものを、と考えラーメン屋へ。厨房では中華鍋に豚バラが入り、野菜がどんどん投入され、賑やかになる。スープに野菜のエキスが染み出していく。味の素だって使っちゃう。その様子に食欲が増進させられる。山盛りの野菜を食べ、崩れたところを取っ掛かりに麺を掘り返して啜る。麺と野菜によるモチシャキ感。そこではもう豚肉は野菜の仲間で、ラーメンのチャーシューのように威張っていない。疲れてきたらラー油や酢を入れて、また啜る。……いつしか、風邪は体から逃げ出している……といった描写がたまらなくて、ああ、これを書いてる間に自分もタンメン食べたくなってきた。


「生野菜定食、焼肉付き」「悪魔のマダム」は、『孤独のグルメ』では一度もなかった完全な失敗談。前者は店構えがよく、店の人も温和な雰囲気なのに、不味いものを食べさせられた。後者は魔が差して普段なら絶対入らない嫌な気配の漂う店に入ったら、やはり不味かった。けれど、腹が空き過ぎていたために、敗戦処理投手のような気分で食べ続けた。その理不尽さが、このエッセイのネタになった、ということ以上に回収されない。せいぜいが、嫌いだった花がなんだかいい奴等に見えてきた、という程度で日常に埋もれていく。「もっとうまいものを食わせてやる!」と憤る人間なんかいない。その心地よさ。


「九月の焼きそビール」「七人の酔客」は、前者は残暑の平日昼間井之頭公園の茶店で、普段はしないメンドウなビールの飲み方をしながら過ごす穏やかな時間。後者は静かな喫茶店に酔っぱらいのおじさんサラリーマンの団体が入ってきて、曰く「野生動物のオス同士の角や体のぶつけ合い、威嚇、すり寄り、マウンティング」のような騒ぎをして去っていく様子描かれる。どちらも淡々としているんだけど、対照的な話だった。


「おじいさんの夕餉」は、師走に老人が一人、落ち着かない駅のパン屋の喫茶コーナーで夕飯を取る。アイスコーヒーとおにぎりとパンを四苦八苦しながら食べるのだけど、チョコをボロボロこぼし、パンは意外にコシが強く噛み切れない。その一挙一動を見逃さない描写が残酷。ある意味、裏『孤独のグルメ』。同じ老いをテーマにした話でも、筆者の母親の回想による、戦争に行く兄におはぎをお腹いっぱい食べさせてやる「おはぎと兵隊」はまた一味違う。途中まではいかにも「戦争体験」っぽく湿っぽいのに、ラストでは凛々しかった兄が今では昼間から酒を飲んでいる半アル中になっていて、泣けばいいやら笑えばいいやら。


冷やし中華ライス」は、夏一番の冷やし中華は縁起物だから、変に構えた店に行かず、普段野菜炒めライスばかり食べる店で、という姿勢に憧れる。滅多に頼まないビールを頼んだ時の店員さんの反応がいい。


「朝のアジ」の、「旅先での朝食は質素な方がいい」というのはその通りだけど、「ひどいものが出てきても、それも旅の味わいだ、と諦める」ことはなかなかできそうにない辺り、自分には修行が足りない。


「死んだ杉浦日向子と飲む」は頼りにならないと何度も言われ、回らない寿司屋では従順な犬のように大人しくなる筆者の小市民っぷりが全開。酔っ払って美味しいもの楽しい話を覚えていないのでは勿体無い、というのは分かるけど、どんなに酔っても記憶が飛んだ経験がない人間としてはそれくらい呑める人間が羨ましかった。


全体的に軽妙で楽しいエッセイなんだけど、気張った感じ、オサレな店に関する愚痴も多い。「タンメンの日」では、「全員が店のロゴが入ったお揃いの黒Tシャツ着て、頭に黒いバンダナ巻いて」「ハイご新規一名様ァ!と怒鳴ったり連呼したり」「大袈裟な湯切りパフォーマンスをしたり」「それら全てが自分たちのためのものにしか見えない」「ラーメン一杯850円の中にその代金が加算されてるように思えてくる」「味も何もかも自己主張まみれの」とソレ系ラーメン屋をボッコボコに。ただまあそういう愚痴も小市民的で上から目線がないので、自分はあまり気にならなかったかな。


そうそう、タイミングよく『孤独のグルメ』新作が出てたのね。ゴローちゃんがあの量食べて米を欲しがらないとは珍しい。イモはその代わり?あんまり美味そうに食うんで影響されてその日はおでんに決定。……しかし不定期連載って続くんだろうか。なんか変な方向に行かないかちょっと心配。まあ自分も所詮某所で知った若い読者だけどさー。