ライトノベル研究序説/一柳廣孝・久米依子/青弓社
ライトノベルに関して様々な視点から語る評論集。目次はこちら。こういう形態の本としては当然かもしれないけど、これまでのラノベ関連本と比べ東浩紀や大塚センセを始めとする先行した文献を多く引用。それだけラノベに関する言説も積み重なってきたということは喜ばしいものの、それらに違和感を覚えていたり理解していなかったりする場合、やや納得しがたい部分はあったかもしれない。
第1部 文化
- メディアミックス
- 角川映画に端を発するその手法が「同じストーリーの他メディアへの移植」から「同じキャラクターによる並行作品世界」を生み出すまでに至った過程が、きちんと整理されていた。
- クロスジャンル雑誌であったコンプティーク⇒ザ・スニやコンプRPGの創刊によるメディアの専門・細分化⇒読者を集中させる仕掛けとしてのメディアミックス、という流れはなるほど、と思った。ここら辺は角川お家騒動とかも関係してくるんだろうけど。
- あかほりさとるに関しては、プロデューサーという立場から同じキャラクターを軸にメディアごとに物語を製作した。それらはあかほり自身の「外道」という強烈なキャラクター性により成立したという評価で、後者は特に興味深かったんだけど、贅沢を言うなら同時期のメディアミックスの例として『パトレイバー』『天地無用!』などのタイトルも記述しといてほしかった。
- 近年最大のヒット作である『ハルヒ』の作品内でのハルヒの特殊能力は、様々な仕掛けを施すことで現実の出来事を作品内の出来事にすり合せていくとか、そういうことの方に活かされてると思う。
- オタクのライトノベル受容
- 若い人の生の声が欲しかった。つまり、昔に比べて若いオタクの間でアニメや漫画と並べた場合のライトノベルの地位は向上しているのか、という。
- 漫画との関係
- レーベル
- 1年間の刊行点数/作家数の割合は興味深い。電撃は97年以前は複数本を刊行する作者はごくわずかで、大多数は年に一本しか刊行しなかった。スニーカーは刊行点数を抑えることによって各シリーズの露出度を高めている。……前者はいいとして、後者は書店の棚を奪われることにもなるんじゃないかな。スニーカーが少数精鋭、というのはまあなんとなく雰囲気として伝わってくるけれど。
- レーベルごとの他レーベルとの作家重複率から「囲い込み」戦略を実証する、というのも発想としては面白い……んだけど、これって調査対象を角川系列4レーベルに限ってたら意味ないんじゃないかなあ。また、スニーカーの重複率が高いのは外部から作家を招聘することが多いからでは。そもそもラノベレーベルの囲い込み、ってそのレーベルでデビューした新人を他のレーベルで書かせないという意味かと思ってた。
- イラスト
第2部 歴史
第3部 視点
- ジェンダー
- ライトノベルの初期作品(ここでは少女小説を含まないらしい/『ロードス』『スレイヤーズ』が例として挙げられていることから、時期的には80年代末-90年代初頭?)には恋愛要素がほとんど見られない、らしい。……ほとんど、は言い過ぎじゃないかなあ。メインでなかったのは事実だけど。伝奇エロ:結構あった/少年漫画的エロコメもしくはサービスシーン:結構あった/恋愛:それなりにあった/ラブコメ:あんまりなかった、というのが大雑把な感覚。異論は認める。
- 『ハルヒ』然り『シャナ』然り、今のライトノベルは弱い男が強い少女に守られてるように見えて主導権は旧来通り男にある、というのはその通り。男が完全に戦場から隔離されるのはセカイ系だけ。
- キノさんは言動からもイラストからも少女性を全く感じない、ってのは無理があると思う。これはまあ冗談半分にしても。/ところで『学園キノ』3巻(asin:9784048678407)の木乃さんの足は国宝級だと思う。
- 読者
- あとがき
- 文学への越境
第4部 読む
- 我が家のお稲荷さま。
- 我々が生きる「いま・ここ」に異界を現出させる物語としての『我が家のお稲荷さま。』論。
- スレイヤーズ
- 地の文で読者に語りかける手法が巻を重ねるにつれ見られなくなっていった、という指摘は重要かも。
- 戦闘場面ではリナの語りは主観的な描写がなくなり、俯瞰的な視点からのものになる。この切り替えがうまい。
- 神坂一はTRPG経験者で、『スレイヤーズ』シリーズもTRPGの世界観を元に自分流の世界観を上乗せしている。……影響がない、とは言わないけどFC製TRPGスレイヤーズのテストプレイ(略)が、神坂一にとってテーブルトークRPGの初体験だったという言葉とは矛盾してない?
- 文学少女
- 普遍的な古典を、日常を生きる個人の内面を重視する物語に再構築するのがこのシリーズ、らしい。
年表
- 海外FTとかが欠けてるので、『ドラクエ』のヒットで「ライトファンタジーブーム」が起こり、それを受けて『ロードス島戦記』などの小説が生まれる、という経緯になんだか違和感が。よいこはこちらで勉強しましょう。
- スレイヤーズ:ファンタジーを当たり前の世界として利用したコメディ作品……そっちの側面の方を重視する人が多いのは分かるけど、むしろシリアスとコメディの両輪だったってのが重要なんじゃないでしょうか。コメディというだけなら同時期の『極道くん』でも『フォーチュン』でもいいわけで。
- 「ライトノベル言及ブーム:ノーマルカルチャーになじめなかった人たちのコミュニケーションの話題としてライトノベルが支持され始める」腹抱えて笑った。エロゲー批評がやり尽くされたから、まだ開拓されてない分野を求めて若いオタクがラノベに行き着いた、なんて意見もwebのどこかで見たな。まあラノベを読むこと自体はともかく、それに関する文章を書くことに(アニメや漫画と比べ)自分が拘るのには、まさにラノベがマイナー趣味だから、という側面はあるけどね確かに。
ところで、『オーフェン』シリーズはここでも例によって『魔術"師"』表記であった。他にも『ライトノベル文学論』『ライトノベル「超」入門』『ライトノベルめった斬り』『ライトノベル完全読本』等で同じ誤植が確認されており、なんというかさながら魔術"士"狩り。こんな悪魔的な思想が専門書にまで溶け込んでいるなんて、背筋も凍るです!作戦として、とりあえず、焼き討ちを提案しますぅ。