ぼくらは海へ/那須正幹/偕成社文庫
↓と同じ1980年に発表された作品で、こちらは少年たちが海に旅立つまでの話だと聞いて読んでみた。立ち入り禁止の埋立地で、小学生の少年たちがこっそりと船を作る、とそれだけ聞くと『ズッコケ』シリーズ同様とても楽しそうなエンターテインメント作品を思い浮かべるし、実際船を作り上げる過程それ自体はとても面白いんだけど、少年たちの関係はとにかくシリアスなものとなっている。一言で言うなら、これはスクールカーストの話だ。学力、腕力、経済力、実務能力、諸々の要素が絡まって彼らの関係を構築していく。
印象に残ったのは、水泳の授業のシーン。クラス対抗レースの選手を選ぶためのテストで、船作りをしていた一人で水泳がやや得意な少年・誠史は、クラスの人気者で学級委員も務める優等生・康彦から勝負を挑まれる。康彦には何の悪意もなかったのだろう。しかし、がり勉でスクールカーストの下位にいた誠史は、水泳のみならず学校という場では康彦に勝てないことは分かりきっていた。そこで誠史はわざと手を抜き、負ける。彼にとってはスクールカーストの支配から逃れるための手段だったのだろう。が、その行動が康彦をして誠史に興味を抱かせ、優等生的な価値観を変え、船作りに参加させる。
統率力のある康彦の参加により、船作りはより具体的且つ効率的なものとなった。が、同時に康彦(と正確にはもう一人)という異物の混入により、人間関係はますます複雑なものとなっていった。間接的にはそのせいで、ある少年が命を落としてしまう。それが、ポジティブにせよネガティブにせよ少年たちに何らかの劇的な変化を与えたか?というとそうでもなく、大人に叱られている最中もある者は空腹で頭がいっぱいで、ある者は自分はもうすぐ親の都合で転校するからすぐにこんなことは忘れてしまえると考え、ある者は自分に落ち度があったと認めるが、同時にそれを誰にでもよくあることと切って捨ててしまう……。仲間の死に影響を受けた二人は船を完成させ、タイトル通り旅立つ。彼等は一月経っても戻ってこなかった。日々の勉強に逃げることで仲間の死を、船作りそのものを忘れようとしていた最後の一人は、旅立った二人がどこかで楽しくやっていることを想像する。が、それは逆説的に二人の暗い行く末を示していた……というところで物語は終わる。
何が悪かったのか。受験戦争か、学校教育そのものか、家庭環境か。それが明確に指摘されることはない。ということは、解決策も提示されない。子どもってのは純粋なんかじゃなくて残酷な生き物なんだ、という話でもない。ある意味で現実に対して誠実だと思わなくもない(現代ってそんな単純じゃないよ的な。つってももう30年前の作品だけど)けど、自分の読み取れていない何かがあるだけなんだろうとも思う。