氷室冴子読本/氷室冴子責任編集/集英社

氷室冴子読本

  • 83年の『少女小説家は死なない!』頃から全体的に本が売れてきて、ジュニア小説家という古くさいイメージから少女小説家という死語になっていた言葉で仕掛けようという事情が業界にあった。当時放送されていた「オールナイト・フジ」のイメージもあってマスコミでは女子大生作家が一杯だとか女の子のキャピキャピした一人称というイメージで際物扱いされた。その結果、少女小説から小説としての部分が抜け落ち、少女の部分だけが商品化されていった。それが嫌だった。そこで、『海がきこえる』では男の子の主人公のカメラ・アイを通してそういうイメージじゃない女の子像を書きたかった。
  • 普通の女の子の一人称でそのまま書いたとき、どこか自己解説というか自己弁明になってしまうのが嫌だった。
  • アニメーション『海がきこえる』は監督と描き手の理想が入って男の子がカッコよすぎる。
  • 小説をめぐる状況を語るときに、作家本人ではなく、編集者が出てきて語るのは、他のジャンルには見られない現象
  • クララ白書』を書いたあと、「まだ続編が書きたいなー」と思ったけど、当時はシリーズとか続編という発想自体が、この業界にまだなかった。
  • 年下の男の子とか優柔不断の男の子をよく書く。「なにかビシッときめる男の子って、ファシズムぽくてウサン臭い」そう。