小説現代の秋田禎信『カナスピカ』インタビュー/何故『カナスピカ』は一般文芸から出版されたのか
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- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/06/22
- メディア: 雑誌
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「野性時代」「IN☆POCKET」に続くインタビュー第3弾。さすがに、これで打ち止めですかね。
自分も含めて作家買いするような層にはあまり関係ないことだろうし、今まで特にその辺に話が広がっていかなかったのでスルーしてたんだけど、結局、何故『カナスピカ』はライトノベルレーベルから出版されなかったんだろう。というのはこの作品、『エンジェル・ハウリング』辺りのライトノベルレーベルから出版された作品と比べても、よほどライトノベルっぽいと思うから。例えば、今は刊行点数を減らしてるので少し厳しいかもしれないけど、秋田自身も作品を上梓したことのある、富士見ミステリー文庫(『ニライカナイをさがして』など地味な青春小説も出版されていた)辺りじゃ駄目だったのか。いや駄目ってことはないだろうけど、あえてそちらの選択肢を選ばなかったの何故なのか。
特定のジャンルにあわせて話を書こう、という意識はないんです。
自分は、そうではなく、何か書きたいものがあった時に、それを一番いい方法で、一番いい場所を選んで書いていきたい。
インタビューで何度となく出てくる「普遍的な物語」というキーワード、そしてそのために主人公である加奈に関して外見的な描写をしなかった、というのを聞くと、なんとなく、イラストがついて、"キャラクター"に具体的なイメージがつくのをこの作品では避けたかったのかな、とは思う。電撃文庫ではキャラクターイラストをつけないという実験もやってるけど、まだまだ例外的であることに変わりはないし、それならいっそ一般文芸で、という思考にいっても不思議じゃない。
最近ライトノベルサイト界隈でイラストに関する話が盛り上がってて、その中で
我が青春、電撃文庫も無かった頃と仮定すると、イラストと言えば、天野喜孝さんとか、末弥純さんだったり、確かに凄い人がいた。
http://novelno.net/archives/2007/06/17-132142.php
でも、この人たちの凄さは、絵画的なもののような気がする。あんまり小説の中身とリンクしていない表紙が多かったような。挿絵という意味では、中身ときちんとリンクしている今の方が、イラストという意味で「質」が高いと言えるんじゃないかな?
という意見があった。秋田のデビュー作である『ひとつ火の粉の雪の中』の挿絵を担当していた若菜等+Kiも、今現在のライトノベル挿絵に採用したら浮きそうな「昔」の人ではあるけど、質が高い低いじゃなくて、なんというか、抽象的か具体的か、という風にも言い換ることができないかな。もちろん、誰が何をやっているか一目瞭然である今現在主流のイラストの方が具体的。けれど秋田の目指す「普遍的な物語」には、より抽象的な方が向いていた。
実際、表紙の加奈はこちらに背を向けているので、どんな外見かは読み取れない。あくまであのイラストは抽象的なイメージ。デビュー作であり、恐らく束縛が緩かったであろう『火の粉』から『オーフェン』に移行するにあたって顕著な点が、ビジュアル描写の強化だったことを考えれば、すんなり納得できる……というのはまあ明らかに妄想しすぎですが。
それと、さらに妄想の域なんだけど、ひょっとしたら一般文芸の場がライトノベルレーベルで執筆している作家を召喚するにあたって、売り文句として実はある種のライトノベルっぽさ(≒青春小説……とは限らないけど、越境してった面子を見るとそんなイメージが)が重視されてるのかなあ、とも思った。私が読んだ範囲では有川浩、桜庭一樹など活躍の場を広げるに当たって作風も徐々に増やしていくにせよ、みんな初期は青春小説として売り出していってるという。まあ、程度の差はあれ、みんな10代の読者に向けて、10代の主人公を視点に据えて書いてきた人たちなんだからある意味正しい気もするけど、そこに秋田も乗っかったのかなあとか。……んー、でも、「あの魔術士オーフェンの」って煽り打つくらいならファンタジー書いてもらったほうがありがたいのかなあ。駄目だ。思考が雑すぎる。いわゆる越境作家については桜庭一樹ぐらいしかちゃんと押さえてないので、色々読んでみてまた別の機会に何か書きたい。