今ほどオタクがオタクをやり易い時代はない
んじゃないかと思う。例えばアニオタ。先人によって作品論が体系づけられ、作品自体もまた、よほどマイナーなものでなければ放映から数ヶ月で即座にパッケージ化され、古いものはキッズステーションやアニマックス、スカパーなどで絶え間なく流されている。それで満足できなければ、まんだらけやヤフオクで中古商品をやり取りしてもいい。時間的な格差は是正され、地域的なそれすら、極めて特殊な……今や言うほど特殊ではなくなってるのかもしれないけど……方法を用いればある程度是正される。世間から注がれる目というのは、実際に体験した人でなければ語ってはいけないのだろうと思うし、個人的な環境も強く関わってくるだろうから、ここではノーコメント。ただ、その気になればWeb上で同好の士を簡単に見つけることができるのは、恵まれている、というべきなんだろう。
でも、だからこそ、教養を持っている人間が偉いという考え方もまた廃れていってるのかな。30年前のアニメも、最新のアニメも隣り合って放送されてるから、古典とか必須の教養といった意識が薄れている、とか。大袈裟に言っちゃえば、岩波文庫と電撃文庫がごっちゃになって本棚に並んでるようなもん。その場合、視聴の際の価値基準は話題にして面白いかどうか、ということが優先される。それなら、その時々でより話題になる機会が多い最新作の方を優先する、ということはあっても不思議じゃない……気がする。
じゃあ現代のオタク(昔と意味は変わっちゃったかもしれないけど)としての自分や同世代の人にとって何が大切かというと、自分の体験と作品を同期させること、知識をただ持っているだけでなく、それを応用すること。前者は、例えば自分語りという形で、後者は、例えば作品をネタとして仲間内で消費する、といった形で現れる。私は、前者の意識の方が強いよう。
……といった風に強引に世代論で括ってはみたものの、実のところ、書いてる自分でもこれあんまり信じてません。なんでかというと、自分の周囲にいる人の中には、同世代かそれより下でも、自分よりずっと、昔からの「いわゆるオタク」をやってる人がいるから。彼らの中にいると、自分みたいに刹那的に消費するだけのオタクの方がまだまだ少数なんじゃないか、と思えちゃう。どうなんだろうね、ホント。実際のところは。
そうそう、自分はバリバリ『エヴァ』直撃で、年齢的にはいわゆる第三世代の人です。