フィクションでの死の描き方
- 死が描かれる
- 同一シリーズ内で人が死ぬシリアスパートと人が死なないギャグパートに分ける(「スレイヤーズ」「オーフェン」「フルメタ」などの富士見ファンタジア文庫産ライトノベル)
- 死が描かれない(基本的に)
- 虚構の中で、どんなトラブルに巻き込まれても人は死なない。登場人物がそれを意識することもない(ギャグ漫画とか)
- デウス・エクス・マキナというか(微妙に意味違うけど)、ご都合主義により死なない。死んだと思われたキャラも実は生きていたことが後で判明する(王大人「死亡確認!」とか。少年漫画的?「Kanon」とかもここに入るのかなあ)
- 商業的理由により、死んだ人間も次回作では何事もなかったかのように生き返っている。物語の中で人が死んでも、ニーズがある限り彼らは再び登場する
- 死んでもドラゴンボールで生き返るんだ気にすんな
異論反論ある方もいらっしゃると思うんですが、いかがでしょうか。メインキャラとそれ以外で差別されてるかどうか、とか、死を描くとしてどういう強調の仕方をするのかとか、そんなとこが問題になるのかなあ。不殺の人たちが主人公の作品だって、確かにヴァッシュは身内以外の死に対しても非常に敏感だけど、やっぱりお話的に強調される部分されない部分はあるよなあとか。
というか、これ書いたの2、3ヶ月だから、自分が何を思ってこういう分類をしようと思ったのか、忘れてしまった。やっぱり多少粗があって恥ずかしい思いをするにしても、思いついた時に書き上げてそんなに間を置かずアップロードした方がいいのかな。