喰い逃げ師列伝第1章「鯛焼きのあゆ」


長い上に大して面白くないので隔離。歯止めが利かないって恐ろしいですね。
↓↓↓


昭和六四年一月七日、時の天皇崩御され、昭和という時代は終わりを告げる。翌八日、現在の今上天皇が即位され、元号は平成と改められた。この平成というのは、「内外、天地とも平和が達成される」という願いが成就することを祈ってつけられた元号である。しかし、その願いとは裏腹に、平成00年代は様々な価値観が崩壊し、世相が混迷を極めた時期であった。


日経平均株価は平成元年十二月二九日の大納会をピークに下落に転じ、地価も徐々に低下、後に言うバブル崩壊を招くことになる。同一一月十日にはベルリンの壁が崩壊、翌年十月三日には東西ドイツが正式に統一。冷戦の終結である。平成六、七年にはオウム真理教によるサリン散布事件が立て続けに発生、列島中を恐怖の渦に陥れた。平成七年一月十七日の阪神・淡路大震災は、日本の大型建築物は大地震にも耐えうる構造であるとの見方を大きく覆す。平成九年七月十九日に公開された人気TVアニメの劇場版完結編は、多くのファンを憤慨させ、同九年六月二八日、逮捕された連続殺人犯が14歳の少年だったことにより、思春期の少年少女という存在が大きくクローズアップされることになる。


文化面ではゲーム、アニメといった虚構文化、いわゆるキャラクタービジネスが大きく花開き、J-POPはミリオンセラーを連発、最盛期を迎えていた。


鯛焼きのあゆが活躍したのは、そんな平成00年代が終わりを告げるもなお迷走する社会の出口は見えず、世間が恐怖の大王降臨に沸いていた時代であった。


鯛焼きのあゆのゴトは決まったように夕暮れ時、それも店が仕舞いにかかる頃であったと犬飼は記している。


仕舞い時とは様々な問題が集約的に発現する時刻であり、その店の営業方針や職人の気構え、やや大仰に表現するなら鯛焼き屋の思想が問われる時刻でもある。それは、いわば客との対話(dialogue)を終えて独白(monologue)へ移行する時の結節点であり、生活者の誰しもが経験する孤独で内省的な夜の時間―――固有時への境界を超える時間でもある。狙ったようにこの時刻に姿を現すあゆがそのことを知らぬ筈がなかった。


また、夕暮れ時の薄暗い時間は逢魔ヶ時といい、常ならぬ存在が顔を出す刻限であり、故に人ならぬあゆが頻繁に出現したのだということは、言うまでもない。

「…やっぱり、事情を説明して、返した方がいいんじゃないか?」
「はぐ…おいしいね」
「食うなっ!」
うぐぅ…」
うぐぅ…じゃないっ!」
「でも、たい焼きは焼きたてが一番おいしいって…」
「うまくても食うなっ!」
うぐぅ…」
うぐぅ…」
うぐぅ…まねしないでっ!」
「いや、さっきからずっと使ってるから」
うぐぅ…そんなことないもんっ」


――― Key『Kanon


うぐぅ」、である。
こういった、実際にはありもしなさそうな描写を論拠に、あゆの実在を疑問視する声も学会には多い。


いくら挙げてもきりがないが―――犬飼をして「何ら学術的有用に足りぬ」と言わしめたこの類の記述は、学術研究書を装った読本からアニメ漫画ゲームラジオドラマに至るまで文字通り枚挙に暇がない。がしかし、留意すべきはこれらの描写を一笑に附す態度もまた真に学術的に足りぬ、という点にある。


「それが実際にありうるかどうかは物語としての評価とは別問題であり、むしろこうしたキャラクターが一定の人気を維持し続けていることの意味を見落としてはならない」とは犬飼自身の言でもある。

鯛焼きの入った紙袋を渡されると、彼女は急におどおどしだした。ポケットに手を突っ込み、ダッフルコートをぱんぱんとはたき、くるくるとその場で何遍か回ってみせる。やがて、その零れ落ちそうな大きな瞳に涙を浮かべ、「ボクのこと、忘れてください」そう言って回れ右し、脱兎のごとく駆け出した。
店主は一瞬ぽかんとしていたが、すぐに我に返り、彼女を追いかけた――


これだけ見るならば、何のことはない、洗練されていない、単なる喰い逃げである。後のアニメや同人誌等もそれを「ドジを踏んだ間抜けなあゆ」として面白可笑しく描いたし、多くの研究者もまたそれを未熟として諒解してきたに過ぎない。がしかし、では何故それほど「ドジ」で「間抜け」なゴト師が繰り返し語られ書き継がれる喰い逃げ師足り得たのか。


「喰い逃げ師の実相は常にそのタネモノに集約的に発現せざるをえない」という犬飼の言に沿うなら、何故鯛焼きでなければならかったのか。鯛焼き、というのは要するに一見して内実が特定できない食べ物である。鯛の形をしてはいるが無論中に鯛の身は入っていない。一応、中身は餡が主流ではあるが、カスタードクリームや栗餡などの種類もある。更には、どの程度の量が入っているかも食べてみなければ分からない。これはそのまま、あゆが生まれる下地となった平成00年代の世相を反映している。それまで絶対とされてきた価値観が崩壊し、内実の伴わないものが蔓延した時代であるからこそ、人々は確かに内実を伴う何かを求めていた。これは確信的推測に拠るものである。そして、ここまで読んできた懸命な読者にならお察しがつくであろう。これはあゆ自身にも言える。彼女自身が、というより夕暮れ時、商店街に出没する彼女の姿こそが内実を伴わない幻影であったのだ。「ボクのこと、忘れてください」という言葉は彼女のゴトを構成する大きな要素であるが、内実の伴わない幻影であるからこそ彼女はそう言わねばならなかったし、しかし一方で、自分の存在が忘却されることを恐れた。だからこそ、鯛焼き屋にゴトを挑まねばならなかったのだ。鯛焼きに、時代に、そして何より自分に信じるべき内実足るものが備わっているのか、確かめるために。


平成十一年一月二十五日。


鯛焼きのあゆの姿は商店街になかった。


ある者は街の近くにある山の中へ入っていく羽リュックの女の子を見たと言う。またある者は、鯛焼き屋の店主から逃げる少女を見たとも言う。


確かなことは、この日を境に鯛焼きのあゆが忽然と姿を消したという事実だけである。