ちょっと前に「コミログ」というブログの「石舘通信『失踪日記』ロングレビュー」という記事が話題になったことがありました。

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20060406/p3


http://comitsu.blog47.fc2.com/blog-entry-37.html#comment49
http://comitsu.blog47.fc2.com/blog-entry-45.html#comment102


私自身は、不勉強ながら吾妻ひでおについては無知に等しい人間です。失礼な言い方を許してもらえるならば、せいぜいが、大塚英志の本でよく挙げられる、ロリコン漫画の偉い人、ぐらいの認識でしょうか。「失踪日記」についてはあの描写に鬼気迫る何かを感じながらも、世間の評価についてはいまいち共感できませんでした。


ただ、多くの人が指摘している通り、それは知識や経験に左右されたものではありません。その点で、吾妻ひでおの背景を知らないから面白みが分からないという意見と同様、大人になれば作品のよさが分かるようになる、という意見も違うように思います。勿論、作者の他の作品を知っている方が、楽しみ方は広がるでしょうが。


それにしてもこの一件は、ネット上で文章を公開することの怖さを、今さらながら私に思い知らせてくれました。ネットで不特定多数に向けた文章を公開するなら、それに対する批判も甘んじて受けなければならない、とはよく言われます。しかし私は今まで、ネット上の文章に対する真摯な批判というものを、あまり見たことがありませんでした。


2chなどの掲示板から突撃を受け、コメント蘭がAAや顔文字で埋め尽くされたblogは、勿論数え切れないほどあります。しかしそれらをやっている人たちは多くの場合、感情的過ぎるか、面白半分か、どちらかです。


このblogにつけられたコメントは違う。(少なくとも表面上は)冷静な、きちんとした批判が多数書き込まれている。blogで批判されたのが、比較的上の年代の人たちに多大な影響力を持つ漫画家だった、というのもあるでしょう。blog主がいちいち対応しているというのもあるでしょう。どちらにしろ、これだけ真面目な文章が、特にアクセス数があるわけでもない、取るに足らないblogのコメント欄にずらりと並んでいるというのは、ある意味荒らしが来るより怖いものがあります。特に、自分がよくズレたことを言いがちだと、なんとなく意識している身としては。出る杭は打たれるんですねやっぱり。

次世代を担う「新鋭」たち

とある自称美(少)女作家を一般文芸誌で紹介するのに、よく「新鋭」という言葉が使われているのを目にします。ライトノベルでは10年のキャリアがあっても、一般文芸では「新鋭」というふれこみで紹介される。例えばSF小説を長く書いてきた人が推理小説に移っても、そんな紹介の仕方はされないだろうに。それぐらい断絶があるってことでしょーか。……考えてみればそもそも、ラノベの方でもあの人がブレイクしたのってここ最近だしね。印象的には、新鋭でさして問題はないのかもしれない。にしても、ラノベで10年選手といったら、新鋭どころか既にベテランの域じゃなかろうか。上遠野浩平だってデビューしてまだ8年ですよ?

キーリⅦ 幽谷の風は吠きながら/壁井ユカコ/電撃文庫

キーリ〈7〉幽谷の風は吠きながら (電撃文庫)


兵長の憑いているラジオが壊れてしまった。街のジャンク屋に診てもらったところ、修理するためには戦前に作られた、希少な部品が必要だという。北西鉱山区にならそれがあるかもしれない、という可能性にかけて、キーリとハーヴェイは再び旅に出る。


なかなか盛り上がらない序盤にやきもきしながらも、ここまで読んできてよかった……。素直にそう思える巻でした。ひしひしと歩み寄る終末の足音。列車に揺られながら、旅が好きだという気持ちは何も変わっていないのだから、このまま終わらないでほしい、と願ったキーリは、過去に囚われてしまう。しかしハーヴェイは、そんな彼女の感情を否定する。終わらない旅なんて、ろくなもんじゃないと。


クライマックス一歩手前で過去からの呼び声が主人公を誘惑するというのは、何もこの作品に限った光景ではありません。大体の場合、主人公たちはこの呼び声を跳ね除け、終わらないものを否定して前に向かいます。しかし、今作において、過去や終わらないものを否定したのは、決して前向きなものではなく、長い年月を生きて疲弊した老人の言葉であり、キーリの感情がそこに交わるものではありません。


また、変わっていないと思っていたキーリも、3年の月日の内に確実に変化しています。旅の途中に降り立った街では、ハーヴェイを慕う恋敵(?)のような存在が唐突に現れ、キーリは嫉妬という感情に駆られます。その時点では、このシリーズらしからぬ軽い話だと思って、頬を膨らませるキーリをニヤニヤしながら楽しんでいたのですが、軽いだなんてとんでもない。キーリは、ハーヴェイを助けるため、誰にも渡さないためには人を殺すことすら平気だ、とまで宣言して、実際間接的とはいえ人を殺してしまいます。


ショックを受けるハーヴェイの心境は、そのまま読者のそれと同じでしょう。まさか、彼女の変化をこういう形で見せつけられるとは。そしてキーリは、もう一度こんなことがあったとしても、自分はきっと同じことを繰り返してしまう、と自覚しているのです。兵長も最終的には直りましたが、依然寿命の問題は解決しておらず、彼らの行く末に光明は見えません。そうそう、ベアトリクスのあの豹変っぷりも気になります。


残り2冊。既に最終巻は発売されていますので、近い内に読みたいと思っています。思ってはいます。……「本当に永遠に終わらないものなんてなかった」って、語感悪くないですか?

封仙娘娘追宝録・奮闘編2 切れる女に手を出すな/ろくごまるに/富士見ファンタジア文庫

切れる女に手を出すな―封仙娘娘追宝録・奮闘編〈2〉 (富士見ファンタジア文庫)


短編集第2弾。なんか読書にまとまった時間が取れないと、自然と短編集増えるな……。

ごつい男のゆううつ

嫌がる子どもにどうやって注射(鍼)を打つか、という話。初めて読んだ時、オチに至るまでの過程に微妙に釈然としないものを感じたことを覚えています。なんというか、論理としては納得いくんだけど、実際そううまくいくかな?という。なんとなく、オーフェン最終巻のひっくり返し方に感じた不条理さに似てるかも。フィクションだしそんなこと気にしちゃいけないというのは分かってるんですが。まあ面白いから別にいいんですけどね。

殷雷の最後!!

なんといってもこの巻の見所はこれ。富士見短編集ではおなじみ、嘘最終回ネタ。変わり果てた和穂の姿を見て、彼女にこんな目をさせてはいけないと決意する鈴旋。記憶はなくしても、その想いは消えない。ろくご風人情劇。こういうところ、この人の書くキャラってみんなオーソドックスな感情の動きをしてると思うんだけど、だからこそ安心します。


全体的に和穂と殷雷の仲をからかったりとか、そういうカップリング(?)ネタが多かったような気がします。この二人の場合、作者が恋愛関係に発展させないだろうとファンが信じてるからこそ成立するネタですね。