機械の仮病/秋田禎信/文藝春秋

機械の仮病

機械の仮病


人体の一部が機械になってしまう「機械化病」という病気がある。治療手段は今のところ見つかっていない。だが、この病気で死ぬことはもちろん、痛みもない。自覚症状もなく、病院で診断しないと分からないため、人々はいつしかその存在を忘れていった。これは、そんな社会を描くオムニバス作品集。別冊文藝春秋に連載されたものを加筆修正して単行本化。


タイトルになっている病気そのものの謎に迫るより、機械化病というガジェットによって現代社会で人々が見ないふりをしている様々な心理―――特に、損得勘定の上で正しいことだけをして生きていく人々の―――を炙りだすことが目的の作品。どの話も薄皮一枚剥げば人間なんて機械か肉が詰まってるか分からない、他人のことなどそう簡単に理解できない、という思いが底に流れている。連載初期に秋田が好きな安部公房っぽいと思ったけど、彼の人に比べると奇想奇想したところはだいぶ薄め。ただ全体のどろっとした雰囲気はやはり似てるかな。それと同作者の作品である「オーフェン」の「……わたし、無意識なんて言葉は大嫌いなんだけど……人は一般的に無意識という状態を信じてる。時に無意識という言葉に罪を被せ、それを利用する人もいる。それこそ“無意識”の内にね」という台詞は、この作品の言わんとすることのひとつかもしれない。


それぞれの語り手は別れた恋人が死んだ売れない画家、小学生の子どもを持つ平凡な主婦、双子の陸上選手、自殺志願者の女、ティーンモデルの娘のマネージャーをしている父親、一見すると「回顧厨」っぽい中年刑事、など。


文章は同作者の「ベティ・ザ・キッド」とは正反対に平易で、読みやすかった。

機械の仮病

数日前に別れた恋人が死んだ。死因は不明。体表を除いた全身が機械化していたという。機械化した部位は病気にかからないというのが定説なのだが……?


たとえ恋人同士で体を重ね合わせて、自分の一部を相手の中に入れたって何も分かりはしない。ワイドショーが猟奇事件を解説して、自分たちの理解できる枠に押し込めるようにはいかない。初っ端の話だけあって、わりと分かりやすい……のかな?分かりやすいと思ってしまうこと自体が罠のような気もするけど。オチは性的にちょっとドキッとするものだったけど、これは「終端サークル」「白く、甘く、やわらかく」も同様。しかし1話目から「全身が機械化」という反則オチを持ってくるとは。

無垢の父母会

息子のクラスで相次ぐ、機械化病を患っていた子どもの自殺に、母親が怯える姿を描く。


何度か言ってるけど、平凡な主婦の視点から描く秋田の筆致がなんだか妙に冴えていた。旦那と心の探りあいをしてみたり、子どもをからかってみたり、なんでもないような日常描写がとてもエロ可愛い。kzeさんの仰るところの「『正しい女性』のテンプレートをそのままカタチにした」というのは言われてみればテーマに沿ってるしその通り(「その後も、幸せでいることにそう苦労はなかった。」っておよそ秋田の書く女性キャラのイメージには似つかわしくないよなー)なんだけど、なんか、それも含めて秋田のこの年代の女性に向ける情熱が伝わってきてとてもエロく感じた。長谷敏司やその弟子である餅月望のロリ描写に勝るとも劣らないものがあるよなー。


しばしば大人は子どものことをよく分からないというけれど、それって「そんなことを誰が言ったか分かったら、社会が大変なことになる」というような大人が見ないふりをすることに対して、子どもは臆せず口にしてしまうからじゃないか、というような。

走る者は静止しない

大学までは双子の陸上選手として活躍し、多少有名だった兄弟。だが就職してからは周囲の無理解に遭い、兄の方は走るのをやめてしまった。それでも走り続けていた弟にも、選手生命が絶たれる時が訪れた。機械化病だ。「体の一部が機械になっているのはなんとなく不平等だから」だからという理由で、オリンピックへの参加は認められないというのだ。


趣味でも何でもいいけど、自分にとって利益にならないけど大事なことに対し周囲の理解に求めることについての話。全6話の中で唯一、機械化病が明確な「害」になってる話……と見せかけて実はそちらは目くらまし。「あいつを恨む気がしないんだ。気持ちが分かるから。お前ら、本当にどうして、人を笑えるんだ?不細工な女とガキを養ってなにが楽しいんだと俺に言われたら、なんて答えるつもりだ?」はぐさりと来た。来たけど、むしろ似たような言葉がインターネットの一部では大量に流布してる現状について色々と考えてはしまう。


主人公の義姉に向ける視線になんだか性的なものを感じる。「無垢の父母会」と合わせて、「オーフェン」第3、4部がああなったのって、秋田が人妻萌えに目覚めたからじゃねーかな、という疑いを持った。

終端サークル

女は自殺を試みては機械化病のため何度も失敗を繰り返していた。、ある日、彼女が参加する自殺志願者が集うサークルに、空気が読めない場違いな男がやってくる。


意見するのは禁止だが、助言はしてほしい。但しみんな肝心な質問はしてほしくないから、村を作る。まず、慰めあうとかじゃなくて本当に自殺するためにはどうしたらいいかを話し合う自殺志願者のサークルという設定が、初期設定としては比較的平凡なものが多いこの作品集の中で異彩を放っていた。


また、性的な意味で一番えぐい話であると同時に、一番意味が掴みづらい話でもあった。熱心に頼み込んできた男子に抵抗せず身をまかせることも。言い寄ってくる男子たちを放っておいたら修羅場になって、退学になりかけたところを停学で済んで運が良かったと言われたことも。でも結局両親に言われて自主退学し、自宅学習の結果大学に合格したら「お前も立派に立ち直ったな」と言われたことも。プロポーズしてきた男から自分を養うために大学の研究職から民間に転職すると言われたことも。みんな同じ。こちらの意思を無視=レイプされたように感じる。自分の前からいなくなる時だけ、今まで無視されていたこちらを向こうが意識し、本当の気持ちが分かる……ということなのか、な?「レイプ」なんていう刺激的な言葉を何度も使ってるのは、語り手が他者からの押し付けをそれだけ強く拒否してるからなんだろうけど、そこに惑わされてる気がする。

白く、甘く、やわらかく

妻に先立たれてから、主人公はティーンモデルの娘のマネージャーとして働いている。娘は誰からも愛される性格をしていて、芸能人としても順調にステップアップしていっている。全ては順調に思えた。


光がないと人間はなにも見えないけど、眩しすぎると何も見えなくなるよね、というような。そしてその光の外にいる人間は、闇の中で「損得」というものだけを頼りに進むから、どんどん思いも寄らない方向に進んでいってしまう。枕営業と近親相姦。序盤この設定ならこういう展開になるのかなあと思っていた本当にそんな話に。「機械化病」を治療するというお題目を掲げる「サイキックロジカルアドバイザー」のネーミングのバカバカしさは「機械化病」の素っ気なさと対になってるのかなあ。

犯人捜し

これまでの事件を捜査してきた中年と若手、二人の刑事。彼らが、機械化病の真実にたどり着く……?


いわゆる「購入厨」と似たような意識や、「精神的苦痛」という言葉が大手を振って流通するようになったのはいつからなのか。それらは既に社会の一部に組み込まれていて、一度何もかも全部壊さない限り取り除けないのか。そういうものだと知っていたら自分は最初から何もしなかったのか……。


読み終わってみると、気持ち悪さが余韻として残った。それを解消したくて長々と感想を書いてみたけれど、しばらくはチキチキという機械化する音が聞こえてこないか、気にしながら寝ることになるかもしれない。