閉鎖のシステム/秋田禎信/富士見ミステリー文庫

閉鎖のシステム (富士見ミステリー文庫)


もう何度目になるかも分からない再読。読めば読むほどスポーツ屋さんの株が上がっていく気がする。


理不尽なこと、不可解なこと、ままならないことはどこにでも転がっている。それは例えばレジの残額とどうしても一致しない売上げ帳簿だったり、鳴かない鳩時計との戦いだったり、ひどい設計のショッピングモールだったり、圏外の携帯電話だったり。人間ならば、政治家の贈収賄を批判する一方で自分は脱税を考え、そのくせ優良な行政サービスを受けようとする人だったり(この行政相手なら何を言ってもいいと思っている人への批判のようなものは秋田作品でたまに出てくる)、逆に金を払ってるから何をしてもいいと言い張るクレーマーだったり、もっと端的に責任を相手に押し付けていじめを正当化する人たちだったりする。そして彼らを批判する人たちもまた無意識のうち、どこかで必ず他人に理不尽を強いている。


世間とはそんな人たちの塊で、彼らはほんの些細なことで―――あるいは全く何の理由もなく―――殺人すら犯してしまえる。誰も彼もが殺人鬼としての素養を持ち、しかし普段は何食わない顔をして道を歩いている。そんな社会を、暗闇に満ちたショッピングモールという形を借りて表現したのがこの作品だというのが、現時点での自分の読み方。


主要登場人物の一人、スポーツ屋さんこと香澄もそんな理不尽に苦しんでいる女性だ。仕事のこと、結婚のこと、私生活のこと。心労は幾らでもあるが、とりあえずゴミ箱をへこむほど蹴飛ばしたら多少なりとも気が紛れるかもしれない、なんてことを妄想する。理不尽に苦しむ一方で、自分もまた誰かに理不尽を押し付けている。


そんなザ・秋田ヒロインである彼女は他の登場人物三人と会っても、内心で彼らのことを馬鹿にしていた。癇に障る靴屋に、頭の足りない高校生に、泣いてばかりの小うるさい少女だと。しかしその小うるさい少女が殺人鬼の闊歩する闇の中に消え、男二人が役に立たないとなると、自ら危険を顧みず―――いや、危険だと分かっていてなお助けの手を差し伸べる。理不尽に抗おうとする。泣いている娘の肩を抱いて頭を撫でてやると、彼女は泣きやんだ。その手触りをよすがに(ここら辺は「エンハウ」と繋がるところ)。同じ女性同士ということで、弱くて泣いてばかりいる少女に何か連帯感のようなものを感じていたのかもしれない。それは、疲れていなければ、電車では席を譲るように、誰だってそうする。その程度のことでしかない。結果的にその行動は作中で報われたとは言いがたいのだけれど、しかし、この理不尽な世の中においては、それこそが大事なことなんだろうと思う。あの場面での彼女は、本当にかっこよかった。また、百合というと少し違うけど、事件終了後を想像するのも楽しい。多分あの二人、紆余曲折を経て連絡を取り合うくらいの仲にはなってるんじゃないかな。そういう連帯感が、秋田さんは百合を書くべきですとか言われる所以だと思う。


ところでこれ、塚本だけ視点人物になったことがない(よね?)のは何故なんだろう。え、もしかして犯人って……?あ、エルビスが向こうで手を振ってる―――