エンジェル・ハウリング(1) 獅子序章 from the aspect of MIZU/秋田禎信/富士見ファンタジア文庫

エンジェル・ハウリング〈1〉獅子序章‐from the aspect of MIZU (富士見ファンタジア文庫)


オーフェン」の方がキムラック編の感想に手こずって先に進めないので、予定を前倒しして読み出した。5年ぶりの再読。ダブルヒロインのザッピング形式で語られるガッチガチのファンタジー


奇数巻では最強の女殺し屋であるミズーが、姉の死により「契約」を相続し、その契約を結んだ相手である<精霊アマワ>の謎に迫っていく。


ミズー編ってのは、人を殺すことしか知らなかったミズーが人の愛し方(!)を知るまでの話だ。「剣は、投げてしまえばそのあとは気絶してもいい」(実際、開始50P程度で名前もない殺人鬼相手に気絶どころか相討ちになるところだった。あれだけ最強最強言われてたのに。すごい秋田らしい)というのはミズーの人との接し方を端的に示していて、ある意味誰も聞いてない独り言を延々と呟き続けるアイネストと通じるものがある。んだけど、この1巻時点では清浄な高原の景色や空気を楽しむ心のゆとりがあったり、アイネストの「勤勉な殺し屋ってちょっと嫌だなあ」という軽口に過剰に反応したり、そういう繊細且つ脆い感情もまだ残していることに読み直してて気づいた。傷ついて凹んで磨り減って硝化が進むのはまだまだこれからか。


オーフェン」との比較としては、良くも悪くも最初からシリーズ全体を見越した構成をしてるんだなあ、ということを感じた。例えば、「オーフェン」は1巻の序章に多くの情報が詰め込まれている。主人公が、黒魔術士の総本山《牙の塔》で戦闘訓練を受けていたこと。同窓で年上のアザリーという女性が、異形の存在に変化した後に失踪してしまったこと。一振りの古風な剣がこの事件の鍵を握っていること。チャイルドマンと呼ばれる教師に師事していたこと。ここからその後の物語というのがある程度は推測でき、読者はそれを指針に読み進められることに安心する。「エンハウ」は、少なくともこの1巻はそういった話を引っ張る上での設定的な伏線に乏しい。ようやく主人公の目的が明らかにされ、決意を新たにし、さあ大暴れだ!というところで終わる。「エンハウ」は最初から続き物であることを意識した作りで「オーフェン」はそうではない、という点で比較はあまり意味がないにしても、1巻丸々序章というのは大胆な構成だと思わざるをえない。この辺は、「オーフェンの作者だから」という保険があってこそなんだと思う。


が、そんな構成上の退屈さが全く気にならないくらい当時の自分というのはあの凝った言い回しに惚れ込んでいた(そしてそれは今もほとんど変わっていない)ので、周囲の評判があんまりよろしくないことが不思議で仕方なかったのだった。冒頭、ミズーが街の喧騒の中を進んでいる時の、屋台から漂ってくる肉の脂っこい臭いまでが伝わってきそうなあの臨場感!あの時点で自分はあの世界に引きずり込まれていたと言っていい。おかしいなあ。こんなにストレートにかっこいいのになあ。なんでみんなこれかっこよく感じないんだろうなあ。ある意味すっごいラノベらしいと思うんだけどなあ。


一部の秋田信者の中には「スレイヤーズ(のパブリックイメージ)とは違うもの」としての「オーフェン」に重きを置く人も結構いるんじゃないかと思ってて、そういう人ほどコメディ色強めの序盤をいかにも当時の富士見ファンタジアっぽい、古い、これから読む人は古臭いと感じるだろう、とエスパーしてしまう。自分にもそういう部分があると思う。人はそれを厨二病と呼ぶ。そういう人ほど、人に奨める際「エンハウ」の方を取るのかなあ、なんてことも考えながら読んだ。