ライトノベル文学論/榎本秋/NTT出版
「魔術士」を「魔術師」と記述してるライトノベル関連本は読まなくていいというライフハックを実践するつもりだったのだけど、結局読んだ。以下引っかかったところ。
- 乙一や米澤穂信をライトノベル出身とすることにいまだに違和感がある私。新人賞取ってデビューしたけど売れなくてすぐ他の市場に行ったとか最初から立ち位置が違ったとかいう人はそもそもその枠でデビューしたこと自体がカテゴリーエラーだったんじゃないか、とか。両者、特によねぽは作品は好きだけど。
- 「狭いターゲットを狙ってきたライトノベルがより広いターゲット目を向けつつある」。上の年齢はそうかもしれないけど中高生の間ではどうなのかなあ。逆にオタク予備軍が読むもの、という認識が強まってるんじゃないかしら。SFの拡散と浸透みたいな感じで中心部(というか一般にライトノベルレーベルとされるところ)はますますコアターゲット向けに。ああでも『キノ』とかはそうでもないか。いやでもアレも始まったのもう10年近く前だしな。
- 「ケータイ小説」って本当にライトノベルのライバルになりうるのか?「ライトノベルは読めないけどケータイ小説は読める」ほんまかいな。そもそも読者層が被る印象がない。
- 「十六のキーワード」に「読みやすい文章」度とかなんとかをいちいち当てはめていくのは無理があるような。
- 「非ゲーム的ではない、『指輪物語』に代表される幻想小説としてのファンタジー」の例示として『カイルロッド』は正しいのかどうか。いやそりゃ『スレイヤーズ』とかと比べれば非ゲーム的ではあるかもしれないさ……。「古典の中で受け継がれてきたテーマ性」の方を強調したかったんだろうとは思うけど、その場合別にゲーム的云々って関係ないような。非ゲーム的でない小説の筆頭って富士見なら五代ゆうとかじゃないのか。売れたのなら『風の大陸』。
- 『シャナ』や『ハルヒ』のファンによると、消極的な主人公の場合は痛い目に合うのも女の子だし事態に流されながらもここぞという時にいい目を見るので読んでて疲れないんだってさ。……ファンの人がそんなアンチに都合よさげな発言をするのか。てか、それは本当にファンなのか?『ハルヒ』ってそういう姿勢をこそ否定する作品じゃなかったの?
- 要約「西尾維新は戯言シリーズも後半に行くにつれ伝奇的な超常アクション、言葉と言葉のバトル、ハッタリを利かせた独特の世界が幅を利かせるようになり、読者にも受け入れられた。著者の本来の適性と需要が一致したのだろう」。西尾維新のアクション描写ってファンの人の間でもあんまり評価されてない気がする。ファウスト繋がりで挙げるなら、乙一のがよっぽど。普段は書かないみたいだけど、『ジョジョ』ノベライズはよかった。
- 「地味だからと敬遠されてきた非ファンタジー(広義の)型現代もの」の例示が『クレイジーカンガルーの夏』『ヤングガン・カルナバル』『半分の月がのぼる空』『乃木坂春香の憂鬱』『二等陸士物語』『ベン・トー』。うーん……
- 議論が一段楽した今も、セカイ系の代表作でアニメは『エヴァ』、小説では『ブギーポップ』が挙げられるのが納得いかねー。セカイ系が生まれる土壌を作った作品ではあるかもしれないけど。セカイ系ってなんなの?って聞かれて『エヴァ』『ブギーポップ』と答えたら質問者の頭に浮かぶのはどんなもんなのだろうか。
- 『三国志演義』のラストはまあ確かに明るいものではないけど『ロミオとジュリエット』と並べてみんな意外とああいう悲劇的な結末が好きなんです、と言われると違和感。別にみんな悲劇的なものが読みたくて『三国志演義』を読んでるわけじゃなかろー。……ないよね?
- 『ルナ・ヴァルガー』の性的表現って、確かに色々豊富だったかもしれないけど、「当時にしては異例」ってほどだったんだろうか。スニーカーがエログロ系に強いのは昔からそんな変わってないし、それ以前の伝奇小説からの流れもある気がして突然変異的なものではないような。『かのこん』級ではあるかもしれないけど『デビル17』級ではないんでないの。当時の流れを知らないからよく分からない。
- 『ザンヤルマの剣士』ってダークかなあ。シリアスではあるけど。あれを暗黒ライトノベル連合の人たちの著作と同じところにカテゴライズするのか、そうか……。
大体の部分は現在web上で既に共通認識であるとされてるような事柄を書いてたと思うのだけど、細かいところがやたら気になった。でも「ここはこうじゃない」と突っ込んでいくことで逆に自分の思考を補強していくためにはちょうどよかったかも。
自分がアラブの石油王なら、自分が好きな論者にライトノベル論を丸々一冊書いてもらうのになー。