読むとウツになる

で評判の『され竜』を読む。ウェットな作風で、主人公たちが先に悲劇に涙してくれるので、こちらは特に落ち込まずに済んだ。作中で理不尽なこととして描かれる出来事はあくまで作中での出来事で、作者の方に「こんな理不尽な話作りやがって!」という思いが行かない(『オイディプス王』を初めて読んだ時はひたすら理不尽な話だなあという思いしかなかった。最近だと『コードギアス』のシャーリー関連とかもそうかな。あそこまでいくとある意味笑い話にもなりかねないけど)。もちっとキャラクターに感情移入してれば話は別だったんだろうけど。


そこへいくと、王領寺静の『異次元騎士カズマ 骸骨旗トラベル』は理不尽でこたえる話ではあったな。詳細は省くけど、作中の悲劇に対するリアクションが、とてもドライ。読了後すぐはそれほどでもなかったのに、時間が経つにつれじわじわときいてきた。元々文字通り血気盛んな話で、男の子が大喜びのセックス&バイオレンスな要素満載なんだけど、(自分も周囲の人たちも含めて)どんな目に遭ってもおバカなノリを忘れずに何処とも決めず無闇やたらに前進し続ける主人公は少年漫画の王道である熱血主人公とかを通り越して、一種異様ですらあった。また毎度毎度事件が解決する直前に主人公に置き去りにされる周囲の人たちの心中を察するに余りあるものがあった(挙句の果てに未完だし……)。和月伸宏が『EOE』を評して「作ってる人はキャラクターの誰一人として好きじゃないんだろうな」というようなことを言ってたけど、そういうのとも違う。作品から作者像を類推する、ということが許されるんなら、好きとか嫌いとかじゃなく、特別悲劇を書こうとしたわけでもなくて、ただ無意識にやってるだけなんじゃないかなあという気がする。そういうことが出来る作者が怖かった。


同時代のスニーカーの作品だと、『聖エルザクルセイダーズ』とかも似たような感触を覚えたな。基本的に陽気なノリで痛快な話なんだけど、無神経……というのが語弊があるなら、無造作に女の子がレイプされたりする。それで話が一気に重い方向に行くかというとそうでもなくて、変に両極端なノリが混在してたり。渡辺道明の漫画みたいな。そういうの、今読んでみると80年代後半-90年代前半に多い気がする。菊地秀行夢枕獏を中心とした伝奇バイオレンスなものメインから、(大雑把に分けて)『スレイヤーズ』以降コミカルなものが多くなっていく過渡期だから、とか?今ならシリアスな本編とコミカルな外伝に分けるとか、そういう処理の仕方をしそうな気もするなー。単に自分がリアルタイムの読者じゃなくて理解度が足りないからそう感じるだけなのかな。……何の話だっけ。