裁縫師/小池昌代/角川書店

裁縫師


9歳の女の子が近所の裁縫師に初めて仕立て服を作ってもらう表題作の他、引っ越した先の、気のいい人ばかりが住む心地いい町で、主人公が病院受付の「鳥の巣の声の女」に惹かれる「女神」。東京で独り暮らしをしている中年女性が、空港に海外から帰ってくる叔父を迎えに行く「空港」、交通事故に遭遇した瞬間から時間の流れが複雑に入り組み始める「左腕」、放浪癖を持つ父のためどこか冷え切った家庭を舞台にした「野ばら」を収録。

大学で東京へ出てきて以来、洋子はずっと一人暮らしを続けている。すべての時間が自分のためにあり、自分でなにもかもをやるというシングルの王国は、当初のメッキがすべてはがれ、最近では、荒涼とした砂漠と化している。
晦日紅白歌合戦を見ながら食べたみかんの皮が、元旦の今日も広がったまま、ひからびて炬燵の上になった。洋子自身が始末しなければ、この家では何ひとつ、きれいにならない。あたりまえのことだが、それが現実だった。とはいえ結婚する気など、まるでなかった。三十九を過ぎたとき、母も父も、結婚に関して何も言わなくなった。
帰らない年には、大晦日になると、必ず母から、切り餅が届く。新潟のもちは特別おいしい。それだけあれば、何もいらない。ただ焼いてそのまま食べるのが一番だったが、雑煮にしたり、きなこもちやあんこもち、大根おろしをからめて辛味もちにした。
だが、こういうことも、いつか途絶えるだろう。そのとき自分は、コンビニでもちパックを買い、東京のもちってまずいわねーと愚痴を言う相手もいないテーブルで、ひたすらまずいもちをかじるのだろうか、とそこまでを想像して、思考を止めた。


ダ・ヴィンチで特集組んでいたのを何かの折に読んで、表題作に下世話な興味を持ってたんですけど、いい意味で裏切られました。ある程度年を経ていなければ到達できない、そんなことを感じさせる落ち着きある文章。静謐で、透明感があって、でも底の方は恐ろしく混沌としてる、というか。なんていうのかな、現代国語の教科書にでも載っていそうなかぎカッコつきの「小説」という感じで……駄目だ、なんて表現したらいいのか分からない。つくづく自分の小説体験の少なさに絶望する。


もう二、三作読んでみよう。幸か不幸か、この人は詩人としてのキャリアが長い人なので、小説はそう著作は多くないみたいだし。……これだけじゃなんなので、他の人の感想。