恋する女たち/氷室冴子/集英社コバルト文庫

恋する女たち (集英社文庫―コバルトシリーズ)


何かちょっとショッキングなことがある度に自分のお葬式をやりたがり「海のトリトン」の封筒と便箋で友人を呼びつけるお嬢さまとか、10代から40代まで様々な女体の美しさを崇拝して、興奮してくるとその素晴らしさについて誰彼構わず熱弁する女子美術部員とか、『白い少女たち』の時点ではまだ「登場人物」だったのが、この作品では少しだけ「キャラクター」に近づいてきていて、ずっと馴染みやすくなり、でも根っこのところが生真面目なのは変わらず。わりと傑作。


主人公は進学校に通う女子高生。乱読家で、

あたしはコーデリアという名に憧れた赤毛のアンのごとく、自分の多佳子という名の芸のなさに、ガキの頃からほとほと悩まされていた。

あたしは眼についた本屋に入り、富士見ロマン文庫の中から、『エロティックな七分間』を堂々と表紙を表にしてカウンターに突き出した。

「言っていいものやら、ちょっと迷うけど……。彼にはちゃんと金髪のイゾルデがいる、とあたしは睨んでるの」
(中略)
「じゃああんた、白い手のイゾルデってわけか。あんたによく似た人間……。もしかして妹でもいるの?」

その時になってなら、あたしはベン・ハーに近づいたキリストの如く水を携えて、彼のもとにすすみ出てやってもいい。
だけどキリストみたいに水を器になんか入れるもんか。両手のひらで掬うのだ。
そして無情にも指のすきまから水は洩れて、決してあいつの口元に水を運ぶことはできないのだ。

あれは部屋でふて寝してるの。布団の回りにサドやヴィヨンの本ばらまいて、うんとペダンチックデカダンな気文にひたってさ。きざねー


といったようなフレーズが結構出てくる。普段から万葉集を諳んじてみたり、かと思えば富士見ロマン文庫(こんなところでこの名前を目にするとは)を愛読していたり。理屈っぽく、愛やら恋やらについて哲学的に思考してみたり。それだけ見れば文学少女であることは間違いないんだけど、その一方で日常的に煙草やアルコールを摂取していて、暴走族の友人なんかもいる。でも本人は特に不良、というわけでもない。すれているかと思えば少女趣味的な一面もあって、それを表には出さないようにしていて……と、一言で言い表せない、人間的な存在感があった。使いどころが難しい言葉だけど、リアリティ、と言い換えてもいい。それらが、キャラクターの面白さ、と両立してる。


ところで、『ジャパネスク』でも頻繁に出てきたけど、尼寺へ駆け込む、というキーワードはこの人のお気に入りなんでしょうか。まああっちは時代が時代なのでわりと普遍的な文句かもしれないけど。