ライトノベルのあとがきについて徒然と

  • そもそも、ライトノベル(レーベルから出版される文庫版型の書籍)に必ずあとがきをつけなければいけない、という慣習のようなものがいつ頃、どのようにして生まれたかは定かではない。私の知る限りでは、80年代のソノラマ文庫やコバルトにはあとがきがないものも見受けられるから、スニーカーか富士見ファンタジア辺りからだろうか?秋田禎信のあとがきには「ファンタジア文庫は必ずあとがきをつけるという非情の掟がある」とあった。そういうもんらしい。
  • 何故ライトノベルにあとがきがあるかというと、ページ数の調整のため、というのが無難なところだろう。でも、広告でも調整は利くし、逆に『スレイヤーズ』の超巨大あとがきのように常識を超えた枚数をあとがきが占めているものもある。となると、子ども向けの商売である以上憧れを、オタク向けの商売である以上、親近感を煽る必要がある、というのも理由としてはありそうだ。
  • あとがきのパターンは、幾つかに分類される。近況報告、ネタ、作品の補足、作品から独立した主張など。
  • ライトノベルにおけるあとがきは、必ずしも作品ではないけど、金を払って手に入れるパッケージに含まれる以上、商品の一部であることに変わりはない。読者を楽しませようと過剰に張り切る必要はないけど、少なくとも読後感を台無しにするようなことは書いて欲しくない、と思う。
  • 個人的な範疇で言うなら、近況報告、ネタは可、というか歓迎。作品の補足は個人的にはあんまりしてほしくないけど、まあ程度問題かなあ。一番やってほしくないのは、作品とは何ら関係ない主張。ある特定の思想や宗教、政治的な立場によるアレコレとか、最近のファンタジーは屑だ!とか、そういうの。メッセージがあったら作品に込めてほしい。某作家は作品中に政治的な信条を持ち込むことでよくあれやこれや言われるけど、個人的にはそのこと自体は別に、構わない。ライトノベルはエンターテインメントじゃなきゃいけない、なんて言うつもりもないし。ただ、騙すなら……というと言葉が悪いけど、何かを読者に訴えたいならうまくその主張に引き込んでほしい。こちらがそうと気付かないくらい。
  • 話は飛ぶけど、あとがきで作中のキャラクター同士、もしくはキャラクターと作者が漫才する形態の始まりとそのピークっていつ頃だろう。ライトノベルを含めないなら、知ってる限りで一番早いのは、この前読んだ1981年の『桃尻娘』文庫版なんだけど。広義のライトノベルだと、田中芳樹の文庫版『創竜伝』?それは、いかにも遅いなあ。