砂の女/安倍公房/新潮文庫

砂の女 (新潮文庫)

二十歳の男は、観念で発情する。四十歳の男は皮膚の表面で発情する。しかし三十男には輪郭だけになった女が、一番危険なのだ

欠けて困るものなど、何一つありはしない。幻の煉瓦を隙間だらけにつみあげた、幻の塔だ。もっとも、欠けて困るようなものばかりだったら、現実は、うっかり手もふれられない、あぶなっかしいガラス細工になってしまう……要するに、日常とは、そんなものなのだ……だから誰もが、無意味を承知で、わが家にコンパスの中心をすえるのである。

美徳に対しては、誰もがとかく、意地悪になりがちなものである。

彼が、結婚の本質は、要するに未開地の開墾のようなものだと言えば、あいつの方では、手狭になった家の増築であるべきだと、わけもなく憤然として言い返す。

文明の高さは、皮膚の清潔度に比例しているという。人間に、もしか魂があるとすれば、おそらく皮膚に宿っているにちがいない。

漂流者が、飢えや渇きで倒れるのは、生理的な欠乏そのものよりも、むしろ欠乏にたいする恐怖のせいだという。負けたと思ったときから、敗北がはじまるのだ。

美しい風景が、人間に寛容である必要など、どこにもありはしないのだ。

死にぎわに、個性なんぞが、何んの役に立つ。型で抜いた駄菓子の逝き方でいいから、とにかく生きたいんだ!

互いに傷口を舐め合うのもいいだろう。しかし、永久になおらない傷を、永久に舐めあっていたら、しまいに舌が磨減してしまいはしないだろうか?

同じ図形の反復は、有効な保護色であるという。

あてもなしに、ただ待つことに馴れ、いよいよ冬ごもりの季節が終わったときには、まぶしくて外に出られないというようなことだって、じゅうぶんに考えられるわけである。

百人に一人なんだってね、結局……(中略)……つまり、日本における精神分裂症患者の数は、百人に一人だって言うのさ。……(中略)……ところが、盗癖を持った者も、やはり百人に一人らしいんだな……(中略)……この調子で、異常なケースを、あと八十例、列挙できれば……むろん、出切るに決まっているが……人間は百パーセント、異常だということが、統計的に証明できたことになる。