ヰタ・セクスアリス/森鴎外/新潮文庫

ヰタ・セクスアリス (新潮文庫)


これが発禁になるとは。こう言っちゃなんだけど、よほどお堅い社会だったのだなあ。

退屈した時には、membreという語を引いて、Zeugungsgliedという語を出したり、pudendaという語を引いてSchamという語を出したりして、ひとりで可笑しがっていたこともある。しかしそれも性欲に支配せられて、そんな語を面白がったのではない。人の口に上せない隠微の事として面白がったのである。

僕は貸本屋の常得意であった。馬琴を読む。京伝を読む。人が春水を借りて読んでいるので、又借りをして読むこともある。自分が梅暦の丹次郎のようであって、お蝶のような娘に慕われたら、愉快だろうというような心持ちが、始めてこの頃萌した。

盲汁ということをするのだそうだ。てんでに出て何か買って来て、それを一しょに鍋に叩き込んで食うのである。

埴生は間もなく勘定をして料理屋を出た。察するに、埴生は女の手を握った為めに祝宴を設けて、僕に馳走をしたのであったろう。

僕はどんな芸術品でも、自己弁護でないものは無いように思う。それは人生が自己弁護であるからである。あらゆる生物の生活が自己弁護であるからである。木の葉に止まっている雨蛙は青くて、壁に止まっているのは土色をしている。草むらを出没する蜥蜴は背に緑の筋を持っている。砂漠の砂に住んでいるのは砂の色をしている。Mimicryは自己弁護である。文章の自己弁護であるのも、同じ道理である。