神様の悪魔か少年/中村九郎/富士見書房Style-F

神様の悪魔か少年 (Style‐F)

雑音なりミュージックなりを奏でるだけの妖精は信頼できる他人。意図的に、好意的であれ突きつけて来る連中は、僕に生きた感情を要求する悪魔だ。
やつらは丁寧な乱暴さと、
乱暴な丁寧さを持っている。


自分には、作品が理解の範疇を超えると物事を単純化させたがる癖があるらしい。『イノセンス』は、結局のところバトーさんが惚れた女のケツを追っかける話。『少女七竈と七人の可愛そうな大人』は、鍵ゲーみたいな変な女の子が出てくる萌えラノベ。我ながら悪癖、ですね。別に茶化したりするつもりはなく(まあ、「なんかみんな難しいこと言ってるけど自分はそういう方面の考察する才能はない/面倒だからなあ、という打算みたいなものはなくもないけど)、理解の及ぶ範囲内で感想を書いているというだけだなのだけど、それだけだと一面的なことだけを強調しすぎかなあ、という気もする。


前置き終了。本作で自分が断言できるのは、ヒロインの佐村井恵が可愛いということに尽きる。もう少し限定すると、主人公である少年、彰人の視点から見た彼女が可愛く描かれていた。

キリトリ線だ、って僕は思った。
その少女の周囲に点線で描かれたキリトリ線があるように思えた。
ハサミ慎重に切り抜きたい。
ノートの真中に貼りつけでもしたい、と思った.


竹宮ゆゆこ田中哲弥辺りも童貞男子の女の子への憧憬、というものについては素晴らしいものがあるけど、佐村井さんほど主人公と、その視点を借りて彼女を見ている自分を翻弄してくれたヒロインは久し振り。次はどんなことをしてくれるのか、期待と不安ではらはらどきどきしながらページをめくった。主人公は彼女のことを「悪性の少女」と読んでるけど、縮めて「悪女」でもさして問題ないんじゃないかと思う。かつて、「"彼女"というのは遥か彼方の女と書く。女性は向こう岸の存在だよ。我々にとってはね」なんてっこっぱずかしいことをのたまったアニメキャラがいたけど、まさにそんな感じ。といっても、女性経験豊富な某氏と違って彰人はそんな悟りきったことは言わず、彼女の一挙一動にいちいち注目してしまい、振り回される。圧倒的な存在感。そっと傍に寄ってきたかと思えば離れていく(『ロクメンダイス、』に似たような台詞がありましたね)彼女に翻弄されっぱなし。異性、という未知のものに対する恐怖、距離感というのは、デビュー作から一貫して中村九郎作品の中核を担ってきたテーマなのだけど、今回は作者曰く奇想に執着しないことで、より現実的……といっていいのか、そういう存在になってるかと思ったら、そうでもなくて、むしろより一層何を考えてるのか分からない、近づいたり離れたりの落差が激しいキャラになっていたのがこの人の一筋縄ではいかないところ。神様のベッドから足が突き出てるシーン(意味不明だけど読めば分かります)では、一瞬吐き気すら覚えた。その後読み進めるのが恐ろしくなって、一週間ほど放置。それで、ああ、自分もこの娘にいつの間にか夢中になってるなあ、と気付かされた。


可愛い女の子に振り回されたい、という至極真っ当な願望を持つ、童貞性を忘れない男子諸君は是非読めばいいと思う。大丈夫、世間の評判に臆することなんてない。彼女の可愛さは普遍のものだ。きっと。多分。