妖精作戦 Part4 ラスト・レター/笹本祐一/朝日ソノラマ文庫

ラスト・レター―妖精作戦 Part4 (ソノラマ文庫 (703))


ここ最近は、ほとんど未知の領域である80年代の作品に手を出しているのだけど、その中でもこのシリーズは、今まで読んできたライトノベルと呼ばれるものとは全く異なる感覚を、自分にもたらした。


まず、『イリヤの空、UFOの夏』がこの作品のオマージュということを考慮するなら、「味方側が全員水前寺部長の『イリヤ』」というのが感想。実際のところ、彼ほどのハイスペックの持ち主は沖田(脇役のはずである)だけなのだけど、他のメンバーも、高校生ではありえないくらいの活躍をしている。ただ、そこら辺はあんまし重要ではない。


問題は、直接的な内面描写がほとんど見当たらなかった点。近年増えつつある……ような気がする、主人公の内面をだーっと書き連ねる作品群とは対照的。ひたすら行動、行動、また行動。ある意味ハードボイルド。そのくせ、戦闘機やバイクのスペックなどはこれでもかというくらい熱意を持って書き込まれ、アニメや漫画、映画などのパロディもふんだんに入れてみせる。まあ実際のところ作者がそういうこと書いてる方が内面を掘り下げるよりは楽しいのかもしれないけど、じゃあ主人公たちが何も葛藤せず行動しているか、彼らの内面は蔑ろにされてるのか、といったら勿論そうではなくて、そこは読者が彼らの言動から想像して読んでいくところなんだよな。読書って本来そういうものなんだよボウヤ、と言われそうだけど、ライトノベルと呼ばれる作品群でここまでその辺りの描写がない作品は初めて見たので、ちょっとした衝撃を受けた。これはこういうものなんだ、と気づいて作風に慣れるまでには時間がかかった。こういった傾向は1巻がピークで、ラストに近づくにつれてほんの少し叙情的になっていった気もするけど、確信はない。


三村美衣が、『ライトノベルめった斬り!』(asin:4872339045)で「ライトノベルの理想(ライトノベル度とは関係なく)はここらへんだと思うのだ」と書いてるのも少し分かる気がする。なんというか、この時点である意味完成されてる気がする。ライトノベルの起源にして、到達点。ってのはまあ、それっぽいことを言ってみたかっただけですが。

他の人の言及

最近では、「”普通の高校生が英雄的行動をする”なんてことは不可能」と、
読者も思ってしまっているので、最近のライトノベルでは、
例えば主人公が普通でなかったり(特殊な設定、能力など)、
主人公が普通の場合は、結局実際に普通+αのことしか出来なかったりするのだけれど、
この話ではそんな「常識」は吹っ飛んでいるので、
違和感があるし、変に面白くもある。やはり時代の差かな。

http://d.hatena.ne.jp/Wize/searchdiary?word=%2a%5b%ba%fb%cb%dc%5d

「あ〜る」「妖精作戦」「イリヤ」において登場した、この「スーパー高校生」が持っている能力とは、「勉強」「体力」「恋愛」「先生との対立」……ようするに普通の高校生が感じる「不安」を超克したキャラクターであることが分かる。

http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20050623/p1

主役が榊ではなく沖田なのが、つまり、『妖精作戦』と『イリヤの空』の世代の差なのかなあと思った。

http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200205.html#13


時代差、を踏まえて言及している人を。