ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序in新宿ミラノ1

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新宿歌舞伎町のミラノ1で観てきた。左隣の学生がかぶりつくテリヤキバーガーの匂いと、前の席のカップルの内彼氏の、上映中落ち着きなく揺れる後頭部と、右隣の年配夫婦の旦那さんの終了後の反応がやけに印象に残っている。

10年前の宿題

―――ヤシマ作戦の熱狂覚めやらぬ中、カヲル君が登場し、謎めいた言葉を残しつつ『序』の幕を引く。エンドロールが流れ始めても、ほとんどの人間が席を立たない。皆がそれを知っていたかのような次回予告。その内容に、劇場内がざわつく。「さぁて、この次もサービスサービス!」お馴染みのミサトさんの決め台詞。劇場が明るくなる中、隣の年配夫婦の会話が聞こえてくる。「なあ、これ、前のとどこが違うんだ?」どうやらその夫婦は、以前に(恐らく10年前のブームの頃に)1度、TV版を観ているらしい。えー終盤どこ観てたんだと思ったけど、考えてみれば10年も前に1度観たきりではそんなものかもしれない。


リアルタイム世代の方が偉い、より作品を理解できる、なんて言うつもりはさらさらないが、より思い入れのある……具体的には回数を観ている方が、1度しか観ていない人間より良かれ悪しかれ新劇場版をTV版と別物と捉える傾向があっても不思議ではない、とは言える。旧TV版の記憶が新劇場版のそれに塗り替えられていくことを実感できるのは、嬉しかった。そしてそれを家に帰ってさらに旧TV版の記憶に塗り潰す喜びは、ひとしお。10年前、擦り切れるまで何度もビデオを観返すのに費やした時間が、報われたと感じた。昨今、放映されるTVアニメの本数が増大し、個人的にも一本のアニメに費やす情熱が薄れていたのも要因だろう。ある程度の教養というか、材料を持って作品を読み解いていく楽しさを久しぶりに味わうことができて、幸せだった。

息苦しい緊張感溢れる旧TV版とド派手なスケールの新劇場版

実際の内容としては、上映時間は98分で削られたシーンが少ないためか、全体的にテンポがやや速め。フラッシュカットや黒バックに白文字の演出、長いこと台詞もBGMもないシーンなど、素人目にもそうと分かる才気ばしった演出は鳴りを潜め、あの観ているこちらが息苦しくなるような緊迫感は薄れている。一方で第3新東京市ジオフロント内部の構造などのディティールが描き込まれ、戦闘シーンはかなりド派手になっていた。


前者の象徴的なものが、4話「雨、逃げ出した後」の、駅で線路を挟んで向かい合うシーンのカット(これは脚本上の理由なんだろうけど)で、後者は言わずと知れたラミエルの大活躍、ひいてはヤシマ作戦そのもののグレードアップだろう。構成的にには、1-3話は間違い探し、4話で、あれ、ここカットしちゃうの?へえ、こういうシーン挿れるんだと旧作との違いが徐々に顕著になってきて、5、6話に至りこりゃあ完全に別物だと実感する、という風になっている。シンちゃんとミサトさんとの確執は4話時点で1時的にでも解決せず、クライマックスのヤシマ作戦に収束する。劇場に相応しいスケール。要塞都市の本領発揮。ラミエル大暴れ。総力決戦。ポジトロンライフルの一発目が外れて反撃を喰らった後、炎の中立ち上がる初号機のシルエットのかっこよさ。いかにも臭い台詞が多かったのは、まあちょっとなんだかなあ、と思わなくもないけど、まあ、感じ感じ。個人的には狭い会議室の中で、鼻ぴすぴすさせてるミサトさん始めとして作戦部の人間が大勢で顔突っつき合わせて対策練ってるところが、さあ総力決戦だ!って雰囲気が出ていた。


出ていたんだけど、演出の平板さを理由に、「こんなのエヴァじゃない」という意見がもっと出てくると踏んでいたのに(そして「エヴァじゃなくてヱヴァですから」と返される)、そうでもないのは意外だった。大好評のヤシマ作戦ですら、スケール感のために緊迫感を犠牲にしていて、少々間延びしている、と感じられたのは、旧TV版を神格化しすぎだろうか?25、26話を例に挙げるまでもなく、予算コストと演出との関係は密接なので、一概にはどうこう言えない。旧TV版は予算と時間がないからああいう形になり、今回はそれなりに潤沢だからこういう形になったのかもしれない。なんとなく『監督不行届』で、「子供のとき欲しいものが買えなかったから、大人になって大人買いしまくり」のカントクを連想した。ドラマCD「終局の続き」の足りない合戦している様子とは対照的。劇場版の映像は、なるほど刺激的で圧倒される。けれど、まあ、そこら辺の退屈さ、というのは否定できないところはあった。

綾波さんは三度微笑む

「笑えばいいと思うよ」の笑顔は、旧TV版は顔色が悪く、death編の摩砂雪作画はお目目がキラキラしすぎてて違和感バリバリだったので、これくらい自然な方が好みではあった。風呂上りのシーンも、なかなか可愛らしく描かれている。ただ、どうしても根っこのところで「こんなのは私のレイではない」という感情は拭えない。妙に甘ったるく可愛らしい声で演じられる綾波は、キャラクターの解釈が変化したことによるものなのか、単純に林原めぐみの演技の変化によるものなのか。多分、前者であり後者なのだろう。彼女の場合、口数が少ないので、どうしても他のキャラクターと比べて一つ一つの台詞がクローズアップされる。最後まで違和感が払拭されない。


ここ10年でアニメ・漫画・ライトノベルに大量に亜種が出現して自分もそれを喜んで受け入れた結果、オリジナルの魅力が希薄になった、という可能性も残念ながら否定できない。それと、そもそも『EOE』のあの巨大綾波を通過してしまった現在となっては、最早綾波を盲目的に慕うことなど不可能なのではないか、という疑念もある。旧TV版は、既に記憶が固定されてしまっているので、綾波を可愛いと思うことに何の障害もない。が、ゲームや漫画といった関連商品でなく、正統な新作、となると別物だ。各所で言われているように、ループものだというなら尚更。どうしてもあの赤い海に横たわる巨大綾波の頭部がちらつく。だから、みんなが大喜びしてる乳首券発行も、嫌がらせに感じられてしまった。ああ、乳頭ね。その方が殿方に受けるのよ。肉体の描き方、も『EOE』以降、なんだか妙に生々しさを強調してるように感じられたのは、自分のトラウマが生んだ幻想だろうか。

概括の段階に入った

書き上げてみたら、なんだか批判ばかりになってしまった。気持ち悪い。ただ、この上もなく楽しめたということは間違いないので、それとは別に書きたいことがネガティブな方向にばかり寄ってしまった、ということだろう。


今のところ単なるリメイクとも続編とも完全新作とも言えない、中途半端な立ち位置だからこそ、逆に語ることへの情熱が刺激された。この先どんな展開に転ぼうとも、旧作から10年経った今、この新劇場版を上映することに何らかの意義、をこちらで見出すことになるだろうとは断言できる(製作者の意思がどうあれ)。どうしたところで、旧作の影響から逃れることはできないのだから、これは別物なんだこれは別物なんだこれは別物なんだ、と変に気構えることなく、素直に旧作が好きだった自分のままで、次の『破』にも向き合いたい。

その他細かいところメモ

  • リっちゃんが初登場時水着に白衣って変態ファッションじゃなくなっててSHOCK!眉毛はむしろ太くなってた。
  • 第一内科の鵜飼先生と第一外科の東先生懐かしい。他にもコンビニでの、「要塞都市だからって、何一つ当てにできませんものね」とか、旧作よりガヤの台詞が聞きやすくなってた。
  • コンビニ(旧TV版はサンクスだったのがローソンに)で買い物した時、クラシックラガーとか妙に商品名がわかりやすくなってて笑った。
  • 戦隊物みたいな色区分されてた人類補完委員会が最初からモノリスに!あの鼻メガネの似非外人が消えた!「左様」「国が一つ傾くよ」って言ってくれよ!
  • ミサトさんの酒瓶の中に日本酒の一升瓶があって、あれ?ミサトさんってビールメインじゃなかったっけ?と思って旧TV版確認したら、むしろ洋酒が。エビチュの印象が強すぎたからかなあ。
  • 脱衣場に吊るしてある洗濯物の下着がなんか気合入ってたものになってて笑った。
  • この新劇場版が製作決定したときからどうなるか気になってたけど、シンちゃんこの期に及んでウォークマンがS-DATですか。
  • 「目標をセンターに入れてスイッチ」のくだり、訓練でも実際に初号機に乗ってたのが、なんか最低限の素体の動きからシミュレーションデータを取るみたいな形になってた。頭部センサーがぎょろぎょろ動くのが素敵。
  • 根府川に住んでた担任教師の人が若い人に。
  • リっちゃんが「葛城ミサ」と言ってる様に聞こえたけど、実際は「葛城ニ佐」だった。よく分からない昇進の仕方を、と思ったら昇進パーティーを削るから、らしい。
  • ラミエルのビームを喰らっても初号機がすぐに引っ込めることができないで、爆砕ボルトで区画一つ犠牲にしないと駄目だ―、みたいな細かいところがよかった。
  • みやむー、旧版では6話まででもガヤで何回か出てた筈だけど、今回は流石にいない、かな?