"孤独の"グルメといいつつも

近年の、舞台(となった店の)探訪とか、ネタの使われ方とか、あんまり"孤独な"消費のされ方じゃないよなあ、とかたまに思ったり。孤独な消費のされ方ってのもよく分かんないけど、場末のラーメン屋に置いてある背表紙が黄ばんだこの漫画を、一日の仕事を終えてメシ食う前にビールで一杯やろうかっていうおっさんがふと手に取ってみた、みたいな。なにそれ。

で、ね。この漫画に登場する店を巡る、ということをしている人もいるらしいのだけれど、それって、ちょっと、違うと思うのよ。いやさ、私も、それぞれの店はそれぞれに魅力的に見えたし、旨そうだなあ、と思ったし、近所を通ったら入るかもしれない。いや、入らないな。

http://d.hatena.ne.jp/zaikabou/20070424#1177418292

以前からのファンはこの作品に漂う独特のまったり感を好む人が多く、過剰なネタ化を苦々しく思う人も少なくありません。

http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20070306


この作品の舞台探訪をするという行為と、作者が否定したい……とまでは言わないけれど少なくともこの作品の思想と対極にある、グルメガイド片手に有名店に並ぶって行為は、ある意味あんまり変わらない。ネタとして祭り上げられるような雰囲気の漫画でもない。


でも、まあ、それはなんだか皮肉な事態ではあるものの、考えてみれば、特別批判されるべきことでもないのかな。はしゃぎすぎなければ。現状、作品としての評価、がまず第一で、ネタとしてのみ消費されてるわけではない、というかネタとしての消費って局地的なものだし。作中の店に訪れたいと思うのは、ゴローちゃんが実に美味そうに物を食べてるからで、それには、間違いなくどんな街のどんな店で物を食べているのか、というのが関係してる。となれば、実際現地に行って食べてみたくなるのが人情ってもんじゃん!という自己正当化。でも、事前に情報の全くない店、という重要な要素が消えるのもなあ、というジレンマ。舞台探訪できないことをツライと思うことはないが、この場合、やはり酷だ。残酷です。


孤独のグルメ (扶桑社文庫)

孤独のグルメ (扶桑社文庫)