カナスピカ/秋田禎信/講談社
帯にあるように、「すこし不思議、だけどシンプルでまっすぐな」ストーリー。『オーフェン』第2部や『エンジェル・ハウリング』で追いかけるのをやめてしまった人にこそ読んでみてほしい。勿論、秋田禎信をまだ読んだことがないという人にもお勧め。
初の一般文芸、初の四六判単行本、初の講談社。初物尽くしの新刊は、意外なものだった。というのも秋田スレで一般文芸進出、という話が出た時、大体その場にいる人間が想起する内容というのが、話はシリアスで、展開はハードで、キャラクターは生々しくて、世界設定はガチガチに固まっていて、文体は回りくどく凝っていて……と、つまりは同作者の『エンジェル・ハウリング』のような路線だったからだ。
実際は全く違った。(多分致命的なネタバレはしてないはずだけど以下隔離)
加奈は中学生だ。この中学生というのは、加奈本人によると大事な区分らしい。なにしろ加奈は自分のスペックをぼくに説明する際、製造番号でもプロジェクト名でもなく真っ先にそれを公表した。
なんでも一種の機能制限らしい。中学生だから禁止されていることがたくさんあって、推測するに、製造されたのにずっと倉庫に保管される予備部品のようなものなのだろう。予備部品の気持ちはぼくにもよく分かる。どうしても必要だから製造されるのに、使われるあてはない。
どこにでもいそうな中学生の少女が、高度2万6499mから地上に落ちてきた、地表観測用人工衛星と出会う。目の前で少女と同じくらいの年代の男の子の姿を取った人工衛星は、三万年は稼動していなければいけないところを、隕石の衝突によりたった50年で墜落してきてしまったという。元来世話焼きの性分があった加奈は、"彼"を宇宙に帰してあげることを決意する。
ごくごく、ありきたりなストーリーだ。展開はハードというほどでもないし、主人公の少女も悩んだり笑ったり泣いたり魅力的ではあるものの、生々しさ、という言葉から想起されるネガティブなイメージはない。現実が舞台だというのに、"宇宙人対策室"の存在を始め世界はいつになく細部が曖昧で、文体はといえば、回りくどいところがなくなって読みやすい。
でも、考えてみれば、どんな世界設定でも、どんな文体でも、いつも秋田は最後にはベタなところに着地してみせたのではなかったか。これらは単純に、根底にあるテーマへのアプローチの仕方の違いに過ぎないのかもしれない。そのテーマというのは何かというと、人と人との距離とか、それを埋める言葉とか、そういうものだ。
『エンジェル・ハウリング』では、陳腐な表現だけどガチンコの殺し愛を描いてみせた。幼い頃から暗殺者として育てられた女主人公は、「真っ暗闇の世界で身動きも取れない中、近くにいるかもしれない誰かに自分の存在を知らせたいとしたらどうするか」、と聞かれて「剣を投げる」と答えるようなメンタリティの持ち主だった。どれだけ言葉を弄してもまだ足りない、もしくは大切なことを伝えられない世界を表現するため、地の文もどんどん回りくどいものになっていった。
『シャンク!!』ではお互いに秘密を抱えた剣士の少年と猫の姿にされてしまった魔女の距離感が描かれる。魔女は魔女であることを隠してはならない。魔法は無制限に魔女に報いなければならない。魔女は無制限に魔法に報いなければならない。突き詰めると、魔女は魔女と魔法のため以外には何もしてはならない。それでも、魔女は少年のためを想い行動する。これらを始め、この世界での「魔法」その他の設定は、全て少年と魔女の距離感のためにある。
では本作『カナスピカ』はどうだろう。
突然、その高さが理解できた。三階の階段よりも、学校の屋上よりもずっと高い。体験したこともない空の上だ。
「宇宙から見ると、惑星の空なんていうものはないんだ。暗い宇宙があるだけ。でも、見上げるとこんなに広く感じる」
本文中にはこういう、加奈と、カナスピカ始め他人との距離感の違い、言動が理解できない、といった描写が幾つか出てくる。『エンジェル・ハウリング』や『シャンク!!』のようにファンタジー世界の、特別な事情を持つ住人でこそないし、日常生活に支障をきたすほどではないにせよ、加奈もまたこの距離感の違い、という問題に直面する。携帯電話を持っていないことなどもその辺りに絡んでくる。
「野性時代」のインタビューで秋田は普遍的な物語、というものを書きたいと言っている。誰もが一つの感想を共有する、というのも普遍的なものの一種ではあると思うけれど、一人一人が、もしくは同じ人であってもその時々によって異なる感想を得ることが出来る、というのもある意味普遍的とはいえないだろうか。そして、そんな普遍的なストーリーのためには、『エンジェル・ハウリング』のような回りくどい凝った文体より、ストレートな物言いの方が適切だと思ったのかもしれない。勿論、デビュー以来の特徴的な文体も健在だけれど、『エンジェル・ハウリング』のように読みにくいということは全くなく、バランスがいい。それは、作中で加奈が自分の育った街、そこに住む人たちへ抱いた、日常的な風景でも見る度に違う顔を見せる、という思いとも合致する。そして、まだ中学生の世界観だから、加奈視点による世界の細部は曖昧だけど、触れたところから現実感が生まれる。カナスピカとの交流を通して、他人との距離感の違い、というものに関する実感が湧いていく。
『カナスピカ』は決して特別な何かがある作品ではないし、題材も目新しいものではありません。それでも、というかだからこそ、『オーフェン』第2部や『エンジェル・ハウリング』で読むのをやめてしまった人たちがもう1度手に取ってくれたら、いちファンとしては嬉しい限りです。