二次元キャラの体型を形作る歴史的慣性
ゆうきまさみ『ゆうきまさみのはてしない物語』(asin:4044290016)を読みました。これは、1985年のニュータイプ創刊当時から書かれている漫画コラムで、時代時代のオタク風俗を知るのに興味深いです。その中に、アダルトアニメについての記事がありました。85年-86年越しの記事。「くりいむレモン」が84年なので、そのヒットを受けてのものなのかな。これによると、「カラダに似合わぬ幼い顔だち」「かなり豊かな乳房」のキャラが人気とされていて、どうも当時から「オタクは童顔巨乳好き」というのが定説だったみたいです。
そして、その認識は多分今もあまり変わってません。いわゆる萌えアニメやエロゲーに嫌悪感を示す人は、幼い顔立ちに似つかわしくない体つきの少女ばかりで受け手の歪んだ欲望がどうこう、というような批判を繰り返します。でも、これはどこまで本当なんでしょうか。
二次元の話なのか三次元の話なのかで変わってくると思うけど、ここでは二次元の話について。『はてしない物語』によると、
写実的リアリティは「即物的」という点で、どこまでエスカレートしても一枚のヌードグラビアにはかなわないわけで、たいていのマンガやアニメはこの方向性を捨てました(全部ではない)
そのかわり長い年月をかけて省略、記号化された絵に「慣れ」という後天的リアリティを持たせることにほぼ成功したのです
とあります。この「慣れ」のことを、ゆうきまさみは「歴史的慣性」と仮に名付けています。そして、前述したような体型の女の子が頻出するアダルトアニメが何故売れるかといえば、その絵が「歴史的慣性」によってリアリティを持たされた、わりと主流派の絵だからだと。
最初期に漫画・アニメの中に「童顔巨乳」キャラを見出した作り手及び消費者には、ある程度「俺たちはこういうのが好きなんだ」という自覚があったかもしれません。しかし、子どもの頃からそういったキャラが頻出する作品が周囲に溢れていた私たちにとっては、アニメ・漫画の中では最初からそれが標準で、取り立ててそういう体型が好きというわけではない。必ずしもオタクは(つまり自覚的に)「童顔巨乳」好き、というわけではないのではないでしょうか?消費者に支持されるからそういうキャラが氾濫するというより、最初からそういうキャラが氾濫してて、消費者の方がそれに慣らされていったというだけではないでしょうか?
そもそも、私がこんなことを考え出したきっかけは、去年放映されていたとあるアニメ。劇中で、ヒロインがサブヒロインを評して「童顔で巨乳!これでオタクの心を鷲掴みね!」みたいなことを言ってたんですが、困ったことに自分には、言われるまでそのサブヒロインが童顔巨乳だとは全く認識できていなかったんですよね。これは、まあ作ってる側の描き分けという問題もあるんでしょうけど、多分私の二次キャラを見る目が、長いことアニメや漫画に慣れ親しむことによって「歴史的慣性」に流されてしまったのかなあと。
そりゃおめーの目が腐ってるだけだよ、と言われるかもしれませんし、まあ事実そうなんですが、ここで思い出したのが、『もののけ姫』を全米公開した時かなんかに、宮崎駿が海外の記者に受けた質問。「なぜあなたの描くキャラクターはあんなに目が大きいんですか?」これはちょっとした衝撃でした。多分、日本のアニオタの人(特にあらいずみるいやことぶきつかさの絵に慣れ親しんでいた自分達の世代)は他のアニメと比べて宮崎駿作品のキャラクターの目が大きいとは思わないし、多分恒常的にアニメを見ているわけではない人にしてもそう認識は変わらないでしょう。なるほど、歴史的慣性ってこういうことか、と。これがキャラクターの体型全般について適用できても、さして不思議はないのかな、と自分なんかは思ってしまうのです。
……自分は一体誰に対して言い訳してるんだろう。