雪国/川端康成/新潮文庫

雪国 (新潮文庫)


空虚で、ひたすら抽象的。捉えどころがない。場面場面がどう繋がっているのか頻繁に分からなくなって混乱する。ここまで理解できない小説は久しぶり、というか初めてかもしれない。どんな名作や古典でも、例えそれが錯覚だとしても、何かを感じ取ることが出来た、と思っていたのだけど。10年、20年経過してこの作品を理解することが出来るんだろうか。ノーベル賞受賞作家の代表作だけあって、小中学生の課題図書なんかにもなってるけど、こんなの理解できる小学生は宇宙人だと思う。


こういう、単純化しちゃえば旅先での恋愛を描いた小説で、主人公が妻子持ちであることが判明するのが終盤に差し掛かってから、というのは何か意味があるんだろうか。それともなんか見逃してたか?

日本舞踊は全く見ぬようになった。その代わりに西洋舞踊の書物と写真を集め、ポスタアやプログラムの類まで苦労して外国から手に入れた。異国と道への好奇心ばかりでは決してなかった。ここに新しく見つけた喜びは、目のあたり西洋人の踊りを見ることが出来ないというところにあった。その証拠に島村は日本人の西洋舞踊は見向きもしないのだった。西洋の印刷物を頼りに西洋舞踊について書くほど安楽なことはなかった。見ない舞踊などこの世ならぬ話である。これほど机上の空論はなく、天国の詩である。研究とは名づけても勝手気ままな想像で、舞踊家の生きた肉体が踊る芸術を観賞するのではなく、西洋の言葉や写真から浮ぶ彼自身の空想が踊る幻影を観賞しているのだった。見ぬ恋にあこがれるようなものである。


これ、自分の声優に対する姿勢となんとなく似てるかもなあ。