超能力はワインの香り/藤井青銅/富士見ファンタジア文庫

超能力はワインの香り (富士見ファンタジア文庫)


赤坂紫(ゆかり)は、ちょっと"フクザツな家庭"を持つ女子高生。ふとしたことから、自分が、お酒を飲むと超能力が発現してしまう体質であることを知った。彼女は否応なしに次々と事件に巻き込まれていくが……


富士見ファンタジア創刊第2弾のラインナップ。後のあざの耕平『神仙酒コンチェルト』、小林めぐみ食卓にビールを』に続くファンタジアほろ酔いシリーズの原点……とかでは別にありません。こちらで触れられてる通り、表紙に枠がなかったり、カバー袖が今みたいにその作者の著作一覧じゃなくてレーベルの新刊一覧を並べてたり、創刊直後でフォーマットが固まっていないのが面白い。



内容は、ライトノベルの起源ってのがジュブナイル小説とアニメ小説から来てるとするなら、近年の作品に比べて前者寄りっぽい?NHK青春アドベンチャーの原作になったというのも、うなずけるところ。イラスト効果もあって、少女漫画っぽくもある、のかな?これもレーベルの方向性がまだ固まってなかったからこその産物ですね。


ジュブナイル、といえば。狭義のライトノベルとこれらの違いの一つとして、作品単体で「あー面白かった」で完結せず、読者をより広い読書体験に誘う、ってのがあるのかなーと思ってて。そういう意味でもこの小説はジュブナイルっぽいのかなー、という気がしました。主人公の母親が文学者で、万葉集の一節を所構わず諳んじる癖があったり、各話タイトルが『ギムレットには早すぎる』『シェリーに口づけ』『茶色の小壜』『ラムの大通り』と、小説や映画のタイトルを引用してたり。まあ、これによってどのくらいの読者が元ネタに触れるのか、ってのは謎ですが、こういう手がかりを小説の中に入れとくってのは昔からの手段の一つではある、のかな。これがより楽屋ネタ的に、「分かりたい奴にだけ分かれ」的な姿勢になってくるとオタクっぽくなって、より幅広い人に元ネタを知ってもらいたい、って姿勢だとジュブナイルヤングアダルトっぽくなる気がする。この辺は、「同年代の作者が同年代に向けて書くのがライトノベルで、上の年代が下の年代に向けて書くのがジュブナイルヤングアダルト」って定義とも微妙に重なるのかも。


それと、読んでて思ったけど、自分はこの辺りの年代の、軽妙な語り口ってのが好きなんだろうか。『雨の日はいつもレイン』だとか、『由麻くん』シリーズだとか。初期『スレイヤーズ』も入れていいかも。なんだろ、軽いは軽いんだけど、それがひどく自然だ、というか。味のない脚本家文体や、色々と過剰なあかほり文体になってない。こういうのが80年代っぽさ(これらが刊行された時期はもう90年代近いけど)なのかな。よく分からん。あるいは、自分がまだリアルタイムで触れていなかった時代を知りもしないのに懐かしがりたいだけ、という気もする。これが90年代半ばに入るとと軽さがいよいよ極まって、終盤になるとその反動のように『ブギ-ポップ』のようにやたら空虚で重苦しい感じになって……とかも考えたけど、考えてみたら、自分はこの辺、歴史の流れに忠実に読んできたわけではないので、自分の読書傾向の変遷に過ぎないのかもしれない。