久米田漫画と伏字

「久米田漫画の伏字は担当編集者がつけてます」という話が「創」の久米田康治×荒川弘対談に載ってたことを思い出しました。考えてみりゃそんなに不思議でもないけど、意外ではあったかも。


というのも、私はあの伏字が、単に厄介事を避けるためだけにあるのではなく、「ここは危ない橋渡ってるよー」という笑いどころを明示し、読者に「一般人には分からないネタが分かる俺マジマニアックwww」という感覚を抱かせる効果があったと思うから。危ない橋を渡る作者と、それが分かる自分もまたやばいという一種の共犯意識みたいのなもの?で読者に親近感を抱かせるとか。そういう意味で、あれも久米田漫画の味の一つだと思ってたんですが、編集者の仕事だったとは。漫画がどこまで作者と編集者の共同作業か、なんてのはケースバイケースなんだろうけど……つーことは、「改蔵」と「絶望先生」では微妙に伏字のセンスが違ったりするんだろうか。


しかし実際のところ、ああいう伏字って揉め事に対してどれほどの抑止効果があるんですかね。見る人が見れば一発で分かるようなのばっかりだし。いわゆる「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは関係ありません」とか「このゲームに登場する人物は全員18歳以上だよ、お兄ちゃん♪」とかそういう建前的なものに過ぎないんでしょうか。建前は大事ですよね。