幾つもの最終回を生んだ「オーフェン無謀編」

これで終わりと思うなよ!―魔術士オーフェン・無謀編〈13〉 (富士見ファンタジア文庫)


上に挙げた三つの中で、「終わらない物語」を終わらせたのは「オーフェン無謀編」のみです。現状を鑑みると、「フルメタ」短編ももう描かれることはないのではないか、と思うのですが、名目上は一応「一時停止中」となっています……よね?



スレイヤーズ」という前例があったからかどうかは知りませんが、「無謀編」は「終わらない物語」というのについて、もう少し自覚的に話に取り込んでいます。それを象徴するのが、通称「最終回っぽいシリーズ」。「さよならなんて言わねえぜ!」「思えば遠くへ来たもんだ」「フリでもいいから努力しろ」の三篇。突然ヒロインとの別れが訪れたり、過去を回想し始めたり、タイトルもそれっぽくして、いかにも最終回っぽい雰囲気なんだけど、翌月になると何事もなかったかのようにいつものドタバタが始まるという趣旨です。これ、「終わらないこと」を前提にしているからこそ成り立つネタですよね。


そんなことを何度かやってきて、実際の最終回はというと、作者は「いきなり意味もなく、ぷつっと終わる」というのをやろうとしていました。それが、「今さら期待はしてねえよ」。


そのまま穴でも掘っていろ!―魔術士オーフェン・無謀編〈12〉 (富士見ファンタジア文庫)


以前に何回か出てきた、キースというキャラの婚約者話のまとめ。人気を考えれば、彼の話が最終回に来るというのは納得できなくもないのですが、しかし実際に短編を読んでみると、これが最終回だとはとても思えません。せいぜいが、

黒魔術士殿っ!慈悲があれば、聞かないでいただきたいのですっ!ああ、いかにわたしとあのメイフェルが、黒魔術士殿の好奇心を刺激してやまない意味ありげ、というかクライマックス風味かつ、もうお別れですね的な最終回会話を展開しているからといって、人は誰も、知られたくない過去というものがあるのですからっ!


この、微妙過ぎる伏線?くらいで。


とにかく、作者はこの「終わらない物語」において当初終わりを描く気はなかった、ということになります。単に恥ずかしかっただけかもしれませんけど。


問題は、実際のところ連載がこれで終わらなかったということです。あとがきによると、「雑誌の都合であと二編ほど付け足さなければならなくなった」ことから生まれた、雑誌連載上の最終回。それが「これで終わりと思うなよ!」。これは最終回「後」を描いた後日談です。作中で、ヒロイン・コギーやキースといったキャラは既に故郷に帰っていて、主人公の傍にはいません。ここでは、描かれなかった別れが、オーフェンの胸中にぽっかり空いた空白をかえって強く読者に訴えているように思えます。オーフェンは姉を探すという自分に課した使命を諦めかけていたことを自覚し、しかし諦めきれず、再び姉を探し始める。そして、物語は「はぐれ旅」本編へと受け継がれます。


我が呼び声に応えよ獣―魔術士オーフェンはぐれ旅 (富士見ファンタジア文庫)


最終回っぽい最終回(コギーたちとの別れとか)は描きたくない。でも、自分の中で既に無謀編は終わってしまった。そこから導かれた解答がこの回だったのでしょうか。予定になかったとはいえ、綺麗なまとめ方でした。これで終わっていたなら、私の評価は、さらに高まっていたことでしょう。


……という文章から分るように、それでも「無謀編」は終了しませんでした。いや、連載は終了したんですが、前述の通り、本来なかった筈の二編を付け足してしまったせいで、今度は単行本に収めるには中途半端な量になってしまったんですね。それで書かれたのが、「これはいったいなんなんだ!?」。作品内の時系列では、最終回以前に位置する話です。連載中は常に金欠で飢えていたオーフェンが、普通に働いてみるとあっさり金を稼げた……という、まあいかにも外伝的な内容なんですが、これがあまりよくなかった。この作品の掲載は、連載終了から3年後。雑誌で読む限りにおいては普通に「懐かしいなあ」と言えるかもしれませんが、単行本の場合、「これで終わりと思うなよ!」のすぐ後にこれが来るわけですよ。余韻というものが全くない。別れを描かれなかったキャラが「お久しぶりよっ!」という挨拶も、なんだかおかしいです。ありていに言って、「ぶちこわしだー!」。


この一連のゴタゴタが、「オーフェン」が長く続いたことによる弊害なのかは分かりません。結局、商業ベースで作品を発表するなら、「終わらない物語」問題ってのはどこ行っても付きまとう問題なのかなあ、とも思います。ただ、特にライトノベルや漫画はそういう傾向が強いのは確かですね。そして、これらの作品群は、いつ終わってもいい反面、何を描けば終わり、というものがない。それは物語という束縛からキャラクターを解放するけど、一方で作者や読者といったそれに関わる人たちを作品世界に束縛し続ける。


そういえば、「キャラクター小説では死というものを描けない」とか大塚英治が言ってましたっけ。あれが、商業主義によって幾らでもキャラクターが復活しうる、という意味で使われてるんだとしたら、納得します。別にキャラクター小説に限った話じゃないと思うけど。もう細部を忘れているので、勘違いかもしれない。


キャラクター小説の作り方