封仙娘娘追宝録・奮闘編(5) 最後の宝貝/ろくごまるに/富士見ファンタジア文庫

最後の宝貝(ぱおぺい)―封仙娘娘追宝録・奮闘編〈5〉 (富士見ファンタジア文庫)


今年2月に出た短編集。今までの奮闘編とは多少趣を変えた作品が6編収録されてます。どれも仙界編もしくは外伝と銘打たれていて、仙界編はまあそのまんま龍華サイドの話で、外伝は今までの奮闘編と同じく人間界での和穂と殷雷の話。せっかくなので、一つずつ感想を。

龍華陶芸に凝り、またしても護玄心労す

度々不仲が噂されてきたクールビューティー流麗絡とドジっ娘理渦記。二人の女の情念に満ちた闘いの火蓋が、今、切って落とされる!なんだか護玄と流麗が微妙にいい雰囲気になっているような気がしないでもないです。流麗が綜現に惚れたのって人間界に降りてきてからのことでしたっけ?

秋雷鬼憚

本編から数年後、時を経ていっぱしの女になった和穂が、華麗に活躍する。あれだけ荒んでても一抹の優しさを見せ、和穂は和穂であるというところに、安堵しました。挿絵の和穂、こわっ!と思ったけど、これは例の剣に操られてるからなんだろうな。


多分、今回は短編どころか長編含めて、出てきた宝貝の数が最も多い。べらぼうに多いです。それだけ今までは宝貝を回収してもそれを和穂が使えないような制約が多かったというこでしょうか。殷雷の苦労が偲ばれるエピソード。

仙客万来

ょぅι゛ょかずほ、ごさい。この時、ろくごが長谷敏司に優るとも劣らないアレ者になるとは誰もが予想していなかった……。

雷たちの大饗宴

ある意味、性格反転ネタ。少し間の抜けた殷雷と、彼をからかう和穂。自然、立場もまた逆転される。最後のシーンがいいなあ。安易なリバーシブルは死を招く、と思いつつも801の人がよく使いたがる理由がよく分かります。そういえば細い方の和穂は炉の和穂じゃないんですね。ううむ。やはり炉の和穂だと色々体裁が悪かったんでしょうか。


作者も言ってますが、同じネタ振りで解決法を数種類用意しようってんだから狂気の沙汰じゃありませんな。厳密にはその都度その都度で微妙にネタ振りの方向性を変えて、その差異でもって解決を図ってるわけですが、よくこんなの書けるよなあ。本スレもそこらへんの議論で盛り上がっていましたが、私は色々考えてる内に頭が痛くなってきました……。解決法は、まあ、迷路でゴールにたどり着くのに、必ずしも迷路の中を通る必要ないじゃん、的な。

最後の宝貝

「夢の涯」に続く嘘最終回シリーズ第2弾?というか、雑誌連載という形での作品発表は実質これが最終回になってるのが怖い。連載時には特に表記はなかったようだけれど、この回をもって一時休載、というのが予め分かっててこういう話を書いたのかな。


この世にあってはいけないものを掃う箒と、全て宝貝を回収し終えたという状況。ここから、この箒とは宝貝をあっちこっちに散らしてしまう道具であり、当初は「エルフを狩るモノたち」的な「もう一度やり直し」になるんじゃないかと予想してたのは秘密です。考えてみれば、1話完結の奮闘編でそれをやっても意味ないわな。

きつね狩り

作られたばかりの宝貝・恵潤刀はちょっとした反抗期。でも本当は素直ないい娘。龍華は、彼女の機嫌を直すため狩りに連れて行く。……というか、誰ですかこれは。人格というのが記憶の蓄積によって成り立ってるんなら、確かに宝貝でも時を経るごとに性格が変わっていってもよさそうなもんだけど、でも、今までそういう事例って見なかったんだよなあ。まあでも、可愛いからよし。タイトルは、シリーズ中会心の出来。

まとめ

なんというか、やっぱり時間って人を変えずにはいられないんだなあ、と思わずにいられませんでした。別にシリーズ休止中にどうこうじゃなくて、進行中からずっとその兆候は見えていたんですが。


ろくご作品の魅力の一つは、その話の構造を形作る理屈付けにある、と思います。それは「食前絶後!」の頃から変わっていません。しかし、ネタに詰まっていたためか、どうも奮闘編3巻辺りから、その理屈はより複雑な方へ、複雑な方へと流れていったような気がします。まるで、理屈をこねくり回すために理屈がある、というような。杞憂なら笑い飛ばしてくれて構わないんですが、作者自身あとがきで語っていた産みの苦しみは、どうもこの辺にあるんじゃないかなあ。まさに、「雷たちの大饗宴」の和穂や殷雷たちのようなドツボに嵌っているというか。あの話自体は、あれだけ理屈こねくり回してこれかよ!という感じでいい具合に落ちてたと思うんですけどね。


理屈をこねくり回す話というのは、それはそれで魅力ではあるんだけど、もう一つの要素である軽妙な文体が失われているのは残念でした。本編はあんな状態だから、軽妙さなんて望むべくもないし。


つまり、今必要なのは政権交代肩の力を抜いて書く完全新作ではないか。