SDキャラ多用は手抜きなのか

きらりん☆レボリューション」を見ていて思ったこと。崩し絵でも、ギャグ絵でも、なんでもいいんですが、少女漫画家もしくは女性作家は、そういう表現を多用する方が多いような気がします。例えば「ローゼンメイデン」のPEACH-PITとか、コゲどんぼとか、あとは非常に個人的な趣向に寄った例になりますが、「グッドモーニングコール」の高須賀由枝のとか。


なんで女性作家に多い(気がする)のかはよく分からないんですけど、ちっちゃくて可愛いデフォルメキャラというのが感性に合っている……のかな?でも、ここで言いたいのはどういった層に多いかとか、そういう話ではないのです。


この手のデフォルメの問題は、多用すると批判されがちなことにあると思います。漫画やアニメってのはそもそもがデフォルメの文化なんだから、必ずしもキャラクターデザインに忠実に描かなくていい。というかむしろ、1コマ1コマ顔が違って当たり前です。ここぞという時に思い切り崩すことでその落差によるおかしさを狙うのもアリでしょうし、「SDガンダム」や「ようこそロードス島へ」みたいに、一貫してその絵でやる企画があってもいいでしょう。


ただ、一応既定のキャラデザがあるのに、特にこれといった理由もなく絵を崩すというのは、手抜きに見えてしまうこともあるんですよね。実際、手抜きかどうかというのは作者にしか分からないわけですが。……それとも、ああいう絵が多用される場合、実はギャグだから崩すんじゃなくて、シリアスなシーンだからまともに描く、という発想の逆転があるんでしょうか?それなら納得いく……か?まあ面白けりゃなんでもいいっていうのは真理ではあるんですが(最初に例に挙げた作品は大体どれも私は好きですし)、こういう手法を多用してると、つまらないと感じてしまった人に恰好の叩き台を与えてしまうよなーと、そういう話でした。