赤っ恥劇場

ここらへんを書いている内、もやもやと自分の中で浮き上がってきたこのblogの方向性とかについて。いつにも増して「チラシの裏」的な側面が強いです。


まず、何のために、どこに向けて自分がこのblogを書いているか、と言われると、第一に自分のために、自分に向けて書いています。やり方が違うだけで、似非ニュースサイトをやっていた頃からそれは変わっていません。例えば本の感想なんかも、作者の意見を読み取るとかいうより、それを読んだ自分の「面白かった」とか「つまんなかった」とか、そういう感情がどこから生まれたか、考えを整理して自分を納得させるためのものです。


だから、本の感想を書いてもそれは決して「書評」ではありません。最初から主観が入ってて、それをどう客観的に見せるかっていう作業だから。


自分の文章の「です・ます調」に違和感を禁じえないのは、そこら辺が原因なんでしょうね。頭の中で妄想をこねくり回してる時は、敬語なんて使う必要はありません。言葉を他人に伝えようとする時、初めて敬語が必要になるわけで。後から付け足すと頭の中で考えてたこととの印象の違いにとっても違和感。どうも自分には、根本的に人に何かを伝えるための能力もしくは気配りが欠けている気がします。


何故それをネットに公開するかと言われると、自己分析がどれだけ客観性を帯びているか、確認するためです。


私がprofileのところで自分の文章を妄言と言っているのは、本の感想を書いていてもついつい脇道に逸れてしまい変な妄想をこね始める、という意味も含んでいるのですが、正直なところ、逃げ道を用意している、という一面もあります。このblogを読んでいる人に対して、というより自分自身に対して、こういう言い訳を自分にしとかないとwebに文章を晒すなんて、恥ずかしくて出来やしない。要は、自分の中でハードルを低くする作業ですか。まあでも、それを公開してる時点で、やっぱりblogを読んでくれている人に対して逃げを売ってるのと同じなんですが。


勿論、妄言だからといってミスや思い違いがあっても甘く見てくれ、というつもりはありません。日本人なら誰でも理解できるよう文章を整備する……努力は、しています。自分なりに、時間の許す限り納得のいくところまでブラッシュアップしているつもりです。自己顕示欲も人並みには(ていうか、人一倍?)あるので、自分の考えに賛同してくれる人がいたら嬉しいし、反応がなければやっぱり寂しいです。ですがそれが、「俺のオナニーでみんな気持ちよくなってくれ!」という非常に傲慢で我侭で自分勝手な考えであることも自覚しています。


昔、ある人から「お前の文章って、結論が先でそこを基点に理論を組み上げてく感じだよな」と指摘されたことがあります。聞いた時は、ピンと来ませんでした。どちらかというと自分は、文章を組み上げてく内にどんどん着地点がズレていくタイプだと思っていたのです。しかし、しばらく経ってから、ふと気が向いて自分の昔の文章を読み返していると、確かにそうかもしれない、と考え直しました。最初で結論が出てるから、文章の〆が下手で尻切れトンボなんですよね。まずぱっと何かのネタを思いついたとして、それを言葉でどんどん補強していく。主観を客観ぽく見える言葉で塗り固めていく。途中でこれは間違ってるかもしれない、と意識しても「個人的には」とか「……まあ、○○かもしれませんけど」という言葉をつけ足すだけで、全面的に訂正しようとしない。要は、せっかく思いついたネタを、ここまで書いて消すのは勿体ない、という無意識が働いてしまってるような気がするんです。そこには、自分の思考を何もかもblogに反映させたい、という強迫観念のようなものがあります。


このblogは、こんなまとまらない考えの下、日々まとまらない考えを書き散らしています。正直、いつまで続くかは分かりませんが、ご愛顧くだされば幸いです。