新世紀エヴァンゲリオン 21-26話
21話「ネルフ、誕生/He was aware that he was still a child.」
22話「せめて、人間らしく/Don't Be.」
- 「生き方わざとらしい」も貫けばわざとらしくなくなる、というのがミサトさんの生き様。
- 新規カットの駅のシーンが浮いてるっつうか第三新東京市っぽく感じないのは、人が結構いるからか。
- エレベーターのシーンの緊張感は胃が痛くなる。そしてあれだけ愛着があった弐号機を「人形」呼ばわりするアスカ。綾波が珍しく自分から声をかけたのは、ある程度アスカを自分に近しい人間だと感じていたからなのかなあ。
- 第15使徒の出現を知ったアスカは「使徒? まだ来るの?」と云う。「まだ」というのが面白い。設定的にはあれ程に強い第14使徒を倒したのに、まだ次の使徒が来るのかという意味なのだろうが、彼等が人間関係や自分の事に手一杯で、もう使徒の事など気にしている場合ではないという意味にもとれる。
- 三石琴乃林原めぐみ岩男潤子山口由里子長沢美樹といった面子が「惣流・アスカ・ラングレーです、よろしく」「あんたバカァ?」「チャーンス」を繰り返すところはみんなしてオタ芸してるように見える。
- 「よかったね、アスカ」シンちゃんここまで無神経だったか?
- 次回予告がネタバレし過ぎな気がするけど、ブラフだったのかなこれ。
23話「涙/Rei ?」
24話「最後のシ者/The Beginning and the End,or "Knockin' on Heaven's Door"」
25話「終わる世界/Do you love me?」
- 冒頭、前回から続く第九。
- 水の中に沈められ、膝を抱える弐号機。ミサトさんやリツコさんの死体。これらは言うまでもなくEOEで描かれるのだけど、この時点ではどこまで構想があったんだろ。
- 「今さら恥ずかしがるところないだろ」って8話の台詞がシチュエーションが違うだけでこうもいやらしく映るとは。
- ミサトさんに限って言えば24話の時点で加持さんの呪縛から逃れてるように見えるんだけどなあ。シンちゃんの中のミサトさん像ってことなんだろうか。単に24話と時間軸が繋がってないだけ?
- ラストに、これがミサトさんがシンちゃんに見せている人類補完計画の一端だと説明される。一応この時点ではまだ本来の物語筋に戻る余地はなくもなかったのかな。
- 僕は「第弐拾伍話 終わる世界」の続きが「最終話 世界の中心でアイを叫んだけもの」ではなく、それぞれが別の最終回なのではないかと思っている。
26話「世界の中心で、アイを叫んだけもの/Take care of yourself.」
- 「時に、2016年」
- 基本的に前回の繰り返しであることが多く、観ててダラける。
- 「辛かったら、逃げてもいいのよ」1話から続いてた強迫観念大否定。
- みんなが変わりばんこに「嫌い」言うシーンは下半身がむずむずくる。
- 「人はエヴァのみにて生くるにあらず」。
- 「大地を踏みしめていると安心する」、ってのは『ラピュタ』なのかなあ。
- 「母親と自分は違う人間」。エントリープラグの安心感全否定。
- 「君はもてるからな」シリアス要素をコメディに転化。
- もう一つの可能性、とやらがいかにもアニメ・漫画的なアレってのはアレだなあ。
- 最終話だけあって原画陣が凄いけどコピペだらけのこの話のどこに使ってるんだろう……。
当時はハマってから劇場版公開までの期間が短かくてあまり考えてる暇がなかったけど、この最終話はやっぱりないわーというのが今回の結論。理由についてはくだくだしく書かないけど、24話までの面白さを再認識できだけに尚更この思いは高まる。でもエヴァ自体への信仰は変わらない。『一瞬ゲキ・ガンガー3』の最終回を観たアキトが頭をよぎったけど、アレは「ひどい最終回だったけど、感動した」とか言ってたし、自分とは違うか。つくづく自分は終わり方でどんだけ落胆してもそれで作品を否定できない人間なんだな。