スレイヤーズ!/神坂一/富士見ファンタジア文庫

スレイヤーズ 1 (ファンタジア文庫)


新作アニメで局所的に盛り上がってて、しかもみんな当時さながら結構濃ゆい話をしてるので、居ても立ってもいられなくなった。再評価自体はいずれしなきゃなあと思ってたので、いい後押しになってくれたな。


というわけで、自分を富士見ファンタジア、ひいてはライトノベルに引きずり込んだシリーズの、第1巻を再読。第1回ファンタジア長編小説大賞<準入選>作。読んだのは旧版の方。


リナの一人称による軽快な語りに、完結以来8年ぶりというブランクも物ともせず、すっと入っていけた。去年読んだ同作者の『DOORS』は内容はともかく文体に違和感を覚えてしまったのでどうかなーと思ってたんだけど、特に心配いらなかったみたいだ。ただ、スイスイ読み進めることが出来る分、行き当たりバッタリ感が際立つといえば際立つかな。もっとも、その行き当たりバッタリによって魔王を倒してしまったことで生まれたストーリー上の制約によって、逆にこのシリーズが単なるパワーゲームにならずに済んだような気もするので、一概に悪いこととは言えない。


宝石の再生成、ゴブリンをからかうための入れ食いの呪文、半魚人の生殖方法と美的感覚(この頃はリナも貞操の危機、って奴に遭遇してたのね)etcetc……ああ、何もかもが懐かしい。


ところでリナのモットーは「悪人に人権はない」であり、第1巻の冒頭も「盗賊いぢめ」の帰り(死人が出ていることも明言されている)から始まっている。この行動に代表されるように総じて破天荒な性格で、「実際にいたら嫌なキャラ」「友達にはなりたくない」などの評価を受けている。……が、実のところ、いざという時にはリナは至って真っ当なことしか言わない。

むろんあたしに、りっぱなヒューマニズムなんぞを説く資格があるなどとは思ってもいない。あたしも人を殺したことがあるからだ。それはガウリイにしろゼルガディスにしろ同じことだろう。
しかし―――
今のセリフだけは許せない。


これは、復活後いきなり2人を殺した魔王が「この程度の相手を殺したところで肩慣らしにもならない、と言い放ったことに対する反応。盗賊いぢめをやっていた人の言葉とは思えない。当時の自分がここら辺の2面性?をどう処理してたかは最早覚えてない。ただ、決して高尚ではないし、確固たる正義を持っているわけではないけれど、少なくとも本編のシリアスな場面においてはこういうことを言う人なんだよねリナって。圧倒的な力を持つ魔族に知恵と勇気でもって立ち向かう。ここでも言われてるけど、『スレイヤーズ(本編)』ってそんな話。


だから、『スレイヤーズ』を説明するのにギャグやパロディばかり強調されるとややもにょるものがあり、「この人の言うスレイヤーズって結局すぺしゃるの方なのかなー」と思ったりもする。でもまあ『スレイヤーズ』をそれ以前の作品と差別化し、以降に影響を与えたのはどう考えたってキャラクターの面白さや既存のファンタジーのパロディの方なので、しょうがないことではあるのかな。旧版の編集部による解説でも「読み終わった後で、ストーリーなどは忘れてしまったとしても、個性的なキャラクターは読者の心に残ります」と歯に衣着せぬ物言いをされてたくらいだし。なので、文庫本長編のほうでは普通に冒険しているらしいと聞いて、そんなヌルいもん読みたくねえよ、と思ったので今に至るまで長編のほうは読んでない(アニメは観た)。という判断は、ある意味すごい正しいと思う。