泣き虫弱虫諸葛孔明/酒見賢一/文藝春秋

泣き虫弱虫諸葛孔明


この作者らしい、軽妙で、おちゃらけた語り口の『三国志』だった。多分、この国で最も多く流通している『三国志』の形態の一つである吉川英治の小説を読んだ時にも感じた疑問というかツッコミ……仁義の人仁義の人と言われているが、色んな派閥の人のところを渡り歩く劉備は実はすげえ不誠実な人なんじゃ?とか、張飛いい加減にしろ、とか、そういったものが現代の作者の視点からばっさばっさと切られていく。非情に馴染みやすいものだった。『三国志』にほとんど触れていなくても面白い。ラブコメ者としては、孔明とその妻・黄氏のバカップルっぷりも楽しい。こういう、作者が地の文で前に出てくる形態の小説って、なんていうんでしょうね。なんか呼び方がありそうですけど。


しかし、読み終えてもタイトルは謎のままだったな。最強の軍師だと謳われてはいるけど実は泣き虫で弱虫の諸葛孔明が運のみを味方につけてなんとかやっていく、という『カメレオン』みたいなのを想像していたのだけど。井上ひさし『しみじみ日本・乃木大将』『頭痛肩こり樋口一葉』『泣き虫なまいき石川啄木』辺りのオマージュじゃないか、という話があるらしい。


すぐに第二部に取り掛かりたいところだけど、一気に読んで少々疲れたのでしばらくお休み。1ページの行数×一行ごとの文字数で概算してみたら、400字詰め原稿用紙1200枚分くらいあった。長いってこれ。とりあえず最初の巻で三顧の礼までは終わらせたかったのだろうけど、これで3年に1冊ペースとはご無体。ページ数半分にして刊行ペース上げてくれないかな。


ところで、作中で劉備が言った「器じゃ無ぇ……か」ってなんか元ネタがあったような気がしたんだけど、なんだっけ。

そもそも婚礼とは葬礼と同じく悲しみをあらわさねばならんのだ。新婦は両親兄弟と別れゆくのだから、残された家族は夜も眠れないほど悲しみ、よって三日は灯火を消さずにおくべきである。新郎の家では三日は歌舞音曲を控えて、われもついに婚する歳になったかと慮り、親の老衰をなげくものである。忌みごとゆえ、儀式は昏くなってからおこない、見送る者は喪服を着るくらいでなくてはいかんのだ。