少女小説家は死なない!/氷室冴子/集英社コバルト文庫

少女小説家は死なない! (コバルト文庫)

あたしはこれでも大学では国文学を専攻してたんです。志賀直哉とか国木田独歩とか、これぞ近代日本文学の神髄!みたいな作家の研究やってて、せっせこ作品読んでたんですけど、どうも今ひとつ、のれないんですよね。そろいもそろって根の暗い主人公ばっかで朝に何食ったとか、道を歩いてたら誰だかに会ったとか、ほんと、神経衰弱になりそうなくらいコマコマ書いてあるけど、それが何だってんだかと思うと苛々しちゃって。で、真に民衆に根づいた文学って何だろうと、日夜考えてたわけです。もっとこう、心が明るくなるっていうか、明日も元気に生きようみたいな意欲が湧いてこないことには、しちめんどい活字を読む気にならんでしょうが。あたし達青少年て、学校では受験地獄で絞めつけられて、家に帰れば、母さんはローンの支払いのためにパートに出てるし、夕食はスーパーの出来合いで父さんも苛々してて家庭も荒廃してるし、ほんと、生きにくい世の中なんだから。そんな時に名作読めって読書指導されたあげくに読む本が、父親とうまくいかずにウダウダ文句言ってる『暗夜行路』じゃ、ほんと、救われないですからね。そういう時、吉川英治の『宮本武蔵』読んで、これだっ!って思いましたね。波乱万丈というか、主人公がハチャハチャ動いて、枝の切り口を見て、『ムムッ、できるッ!』とか唸ってて、ともかくハッタリがきいててわくわくするじゃないですか。これですよ、これ。真に民衆のための小説である、とあたしは目からウロコが落ちました。小説の本質ってのはハッタリなんです。

つまり、こうですね、少女小説といってもそれを書く作家にはおよそ三通りありましてね。一つは、一人前の作家になるための文学修業と思って書いているタイプ。もう一つは志半ばにして一流作家の夢破れ、糊口をしのぐために泣く泣く子ども向けの小説を書いているタイプ。それらはいいんですが、残るひとつが問題でね。変にポリシー持ってたり、趣味に走り過ぎて世に受け入れられず、少女向けも何もあらばこそ、好きなものが書ければ何でもいいと思ってる人達―――こういう人達はなまじ屈折してない分、こわいものなしです。


『ジャパネスク』に比べると少々荒削りのような気がしなくもないけど、とにかく勢いがあって、一気に読んでしまった。キャラクターも多彩。主人公からして、没を連発する編集者は自分の小説のよさを何も分かってない、細かいことばかり気にするから日本のファンタジーは駄目なんだ、と啓蒙思想に燃えるけど、荒唐無稽な展開を、無駄に凝ろうとするあまり日本語が怪しい文章で書いてしまうファンタジー作家・火村彩子センセ。他にも、登場人物は揃いも揃って暴走族のチーム名みたいな当て字の名を持つ美青年ばかりで、必ず血みどろ展開に持っていく耽美作家とか、名門大学生か三十前の若手社長かクリエイターかそういった職業のどこか影のある男とまるっきり平凡な主人公が、何故か恋に落ちる物語に、「海が見たいわ」「今夜だけ、娼婦になりたい」などの殺し文句を多用し、やれ自由が丘のマンションやれ軽井沢の別荘といったフレーズを散りばめるハーレクイーン作家とか。終いには、学校で友人達がごく当たり前に話していた猥談を小説に反映させている名門女子校育ちのお嬢さま作家が、旧仮名遣いで女子校がどうの、寄宿舎がどうの、といった清純な……つまり二昔前の「少女小説」というもののイメージそのままの作品を書いている28歳の男性作家に、「お前は女子校のイメージを汚している!」と文句つけられたり。彼女達が、数年前までDM誌でやってた「龍皇杯」のような競作企画に挑むことになるんだけど……、というのが粗筋。編集者は編集者で、漫画ほど売れない、純文学に比べれば社内での地位も月とすっぽんの少女小説誌編集部に左遷され、やる気のない社員ばかり、というひどい(褒め言葉)描写のされ方だし。コバルト編集部は保守的、という話は偶に聞くけど、うーん……この作品にゴーサインを出した編集部が保守的、ねえ……。組織は時と共に変質するものとはいえ……。


こういう小説が83年の時点で既に出てて、しかも売れてる(手元にあるのは22版)って辺り、少女小説、恐るべし。こういうネタが通用するくらいには、少女小説なるもの、が当時既に出来上がってたってことなのかなあ。当時の実際のところは、今の少女小説、もしくは私が主に読んでいる男性向けレーベルの「ライトノベル」と呼ばれるものとは全然違うのかもしれないけど、書かれてること自体は今の状況と比べてもさして変わらなそうなのが面白い。ラノベオタの人、とりわけ業界ワナビ気質を持っている人なら絶対に読んで損はしないと思う。自分としては、今年読んだ本の中でベストを争うくらい面白かった。まあ、少々反則気味の内容ではあるけれど……。


余談として。文中に、「今、なぜだかファンタジーは受けますからね」って編集者の台詞があったんだけど、この小説が出版された83年って国産ファンタジーブームはもうちょっと先のことじゃ?自分の歴史認識が間違ってる?どうなんだろ、数は少なかったけど当時からファンタジーは受けてたのかな。