キマイラ・吼(4) キマイラ魔王変/夢枕獏/朝日ソノラマ文庫

キマイラ魔王変 (ソノラマ文庫―キマイラ・吼 (280))


「先生は、今、とてもいやらしい顔をしています―――」って赤くなりながら男の言う台詞じゃないよなあ。清純派ヒロイン・九十九ここに誕生。


で、一応配置的にはヒロインであるだろうところの人が寝取られたのだけど、なんだろう、あんまり心が動かなかった。それだけヒロインに魅力がなかったってことかしらん。それとも、背徳感やらなにやらが描かれず、あっさりしたものだったからか。しかし、彼氏とその友人の間で心が揺れ動いていたらいきなり第三者に寝取られる、ってのは新しいかも……いやそうでもないか。

半村良師匠が、何かでおっしゃっていたことだが、伝奇小説というのは、広がってゆく時が、読者にとっても作者にとっても一番おもしろく、楽しいのではないか。
いろいろな、怪しげな人間やらなにやらが出てきて、様々にからみあいながら、謎が謎を生んでゆく。次にどうなるか見当がつかない―――そこにこそそのての物語の醍醐味があるのだと思う。
あんなにおもしろかった話が、閉じ始めた途端に、急につまらなくなったりもする。結末を読んでいない(作者が途中までしか書いてない場合にしろ、たまたま完結篇を読んでない場合にしろ)物語ほど、ずっと後になっても、あの続きはどうなったろうか、とふと思い出しては、その結末を想像して今でも楽しんだりしているものだ。
遥かな昔、あるいは少年の頃、痛いほどに胸ときめかせ、続きを心待ちにした物語りがぼくにもある。その至福感は、何ものにもかえがたい。
遠く、鮮やかで朧な原色の夢は、今なおぼくの中にのこっている。
少年の頃、そのようにして読みふけった物語の結末を、今読んでしまうことの不幸もまた、間違いなくあるようである。また、そのような胸ときめかせた物語を、大人になってから再び読み返した時のあおの不思議な失望と哀しさを体験したのは、ぼくだけではあるまい。
むろん、何度読んでもおもしろく、読む度に、新しい発見をする物語もまた、間違いなく存在する。
話をもどす。
つまり、永久に終わらないこと、語り続けてゆくことこそが、物語の真の在り方ではないかと、ふとぼくは思ってしまうのだ。