雷の娘シェクティ(7) 世界の再生/嵩峰龍二/富士見ファンタジア文庫

雷の娘シェクティ〈7〉世界の再生 (富士見ファンタジア文庫)


シリーズを読み進めている最中はそれほど楽しくなかった……というかむしろ批判的な意見の方が頭をもたげていたんだけど、最後の最後で評価が逆転しました。作中で提示された結論については納得いかないことも多いんだけど、世界の破滅と再生、というものについてド直球で壮大なスケールを損なうことなく描ききったことに対しては、素直に感服します。最近、個人的な事情の方がメインの話ばかり読んでいたので、尚更。


でも、読み始めて以降感じた不満については、変わることがなかったなあ。それは、無駄に長い(と言い切ってしまおう。本人は満足してるようだけど、あのあとがきをあの分量書いてほしいと思ってた読者ってどれだけいたのかなあ)に比して本編がダイジェスト気味に感じてられることが一つ。一人一人のキャラクターに感情移入させることがメインでないならそれでもいいとは思うけど、このシリーズはハードな展開といかにもライトノベル……もとい、いかにもヤングアダルトっぽいキャラクター描写が齟齬をきたしてるような気がして、読んでてなんだか痛々しかった。ここら辺は時代性とかもあるかもしれない。


もう一つは、世界設定自体は緻密なのに、そこに生きている人たちの生き様に反映されてるようには、あまり感じられなかったこと。つまり、あの世界ってのは言ってみれば世界の根幹がオカルトでできてるわけだけど、そういった"世界の真実"に対する人々の視線ってのは、現代に生きる我々のオカルトに対する視線とあまり変わるところがない、というか。ファンタジー世界でもオカルトはオカルト。胡散臭いことに何ら変わりはない。作中で示された"世界の真実"に沿って生きてるのって、アマゾネスとジプシーくらいか。それは、まあ、あの世界が、人々は世界の真実(信仰と言い換えてもいいかも)を失い、精霊や妖精、神々といった存在とも没交渉になり、これから人類社会に待っているのは物質的な欲望のみが支配する云々といったものなので、当然っちゃ当然なのかもしれないけど。……んでも、その精霊や妖精、神々といった存在についても、人間と精神構造がそんな違うようには見えないんだよなあ。作中で示された各種族の在り方を考えるなら、もうちょっとこう、違った存在として描かれててもいいとは思うのだけど。自分には、"すごい力を持った人類"にしか見えなかったなあ。


ああ、でも、逆に俗っぽくてよかったキャラクターは、"魔王"ダーラ。好みと言ってしまえばそれまでなんだけど、どこか盤上の駒という感じが抜けなかった他のキャラクターに比べて、彼だけはすごい人間臭くてよかった。