「プロ=ひとつの表現手段しか許されない」観問題

http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070114#p1を、別路線というか、もうちょっと話を広げて、プロのクリエイターの作品外での活動について考えてみる。自分が許容できるか許容できないかって観点で。

  • 基本的に履く草鞋は一足の場合
    • ○ 本人の露出がほとんどない場合(極端な例では舞城王太郎など?)
    • ○ 必要最低限の場以外ではあまり語らない場合。あとがきでも近況などがメインで、作品のことには触れない
    • × 作品とは何ら関係ない政治的な主張などをあとがきなどでしている場合
    • ○ 作品とは関係ない近況をblogなどで公開している場合
    • △ あとがきやインタビュー等で自分の作品を補足する意味で色々語る場合(和月伸宏など)
    • ○ あくまで趣味の領域で他の分野に手を出している場合(衛藤ヒロユキのDJなど。それが作品に反映される場合もあれば、周囲がそれに目をつけて商業的な活動になる場合も)
    • × 「小説家」「漫画家」といった肩書きつきで文化人タレントとして活動している場合(江川達也など)
    • × 「あの○○がXXに初挑戦!」といった煽りがなされる場合(芸能人の声優初挑戦、エッセイ執筆など。「声優の出自はそもそも〜」といった議論はここではナシで)
  • 二足或いはそれ以上を履く場合
    • △ 自分も創作者として関わる分野で批評活動をしている場合(笠井潔など。作品自体にも批評精神が込められているパターンが多そう)
    • ○ 小説、アニメ、漫画、映画、音楽、俳優などマルチな活躍をしている場合(手塚治虫のアニメと漫画のように、比較的近接する分野もあれば、そうでない場合も)
      • ○ 多彩な活躍はするけど、あくまで本職は一つに絞っている場合
      • ○ 表現手段に拘りがない場合
    • ? 別PNで活動している場合(乙一など。実際はこちらが本名らしいけど)
  • △ いつの間にか草鞋がすり替わっていた場合(中村うさぎなど)


で、リンク先で主に語られてる、多分野でマルチな活躍してるっつーのは、まあ、本業(というか、私の惚れた仕事)に支障がなければ、好きにやってくれ、とは思います。そっちも面白そうならついてくし、興味なければスルーするだけだし。


あとがきやインタビュー等で単なる近況以上に本人の露出が多かったり、作品のテーマ、もしくは作品と関係ないけど余韻が醒めるようなこと書かれるのは、あんまり好きじゃないです。必要以上の露出を嫌うってのは、あんまりリアルな姿が見えると作者萌えがしにくくなる、という非常に個人的な観点から。声優も、生の姿にはあんまり興味なかったりします。作品のテーマっつーか、「今回はこれこれこういうことを思って書きました」というのは、発表から10年後くらいに当時を振り返る形で、みたいな感じでなら別に構わないんですが、あとがきなんかであんまり言葉を費やされると、読み方を狭められてるようでこれも好きじゃない。まあでも、和月のキャラクター製作秘話とかは結構好きなんで、場合にもよるか。


趣味が作品に反映されるってのは、それが読者の理解できる形、作品と調和した形で提示されるのであれば、許容すべきだと思う。


批評と創作を両立、ってのは難しいですね。許容するしない以前に、自分だったらしたくないなあ。なんつうか、批評してる作家と創作してる作家を、どこまで同一していいか分からない、ってのが面倒臭いのかなあ。批評性の高い創作、創作性の高い批評とかなんとか。


あと、厄介なのは別PNで行動してる場合か。PNを変える理由は色々あるんだろうけど、中には同一人物として見られたくない人もいるでしょう。でも、その人の作品なら何でも揃えたい、というファンとしては別名義の作品でも紛れもなくそれは自分が好きな作家の作品である、ということを否定できるのか、とか。


うーんいつも通りグダグダだ。