『サザエさん』『ドラえもん』『クレしん』『コナン』、長寿アニメについて考える


先日、数年ぶりにアニメ版『名探偵コナン』を観たら、完顔阿骨打先生の嫁であるところの灰原さんのキャラが微妙に変わってるように思えました。なんだか、数年前より明るく、周囲に馴染んでるような気がしたんです。でも、それが何に起因するのかってのがよく分からないんですよね。


例えば、これが『サザエさん』なら、作中において時間が経過するという概念もなければ、当然キャラが成長するという概念もないのだから、少なくとも製作側が灰原の心境の変化を描写しようとした、とかではないというのは分かるのですが。『コナン』の場合、延々と殺人事件に巻き込まれてはそれを解決してを繰り返してるだけのように見えるけど、たまに黒ずくめの人たちのエピソードがあったりして、一応進展すべき話の筋は存在するんですよね。だから、私が感じた灰原さんの態度が、コナン君たちと過ごす内に段々と軟化していった末のものだという可能性もありえます。あるいは、その回限りの何か演出上の理由があったのかもしれませんが。


長寿番組、と言えば『ドラえもん』が2005年4月にリニューアルしてから2年近くで、芸能人を声優に招いたり、サブタイトルを週刊誌の煽りのようにしたり、視聴者の考えたオリジナルひみつ道具を募集してみたり、色々やってまあ色々言われてますね。多分、『サザエさん』で似たようなことをやれば、それ以上の騒動を招くことは必至でしょう。しかし、同じテレビ朝日で『ドラえもん』の後に放映している長寿番組、『クレヨンしんちゃん』は同じように芸能人をゲストとして登場させたり、オタク向けのアニメパロディをやったりしているにも関わらず、その手の批判は、少なくとも『ドラえもん』のそれに比べればあまり目立ちません。なんででしょう。


まず考えられるのは、単に放映された年数の問題。『サザエさん』は1969年、『ドラえもん(テレ朝版)』は1979年、『クレしん』は1992年にそれぞれスタートしました。観た年数が長ければ長いほど、「私の考えるドラえもん」といったイメージが視聴者の中に固まっていくのだとすれば、『クレしん』のイメージは、他の二つほど固まっていないのかもしれません。


クレしん』の原作が現在進行形で継続中だということも理由の一つに挙げられるかもしれません。これにより、アニメ版の人間関係や状況も、時代に合わせて変化していっています。近年、ガス爆発が起き、野原家が全壊したことや、レギュラーとしてみさえの妹でニートのむさえさんが登場したことなどは象徴的ですね。『サザエさん』において季節感というのはとても重要視されていますが、それはあくまで1年ごとに繰り返されるものであり、進学や就職といったキャラクターの周辺事情が変化する年中行事については、描写を避けています。原作では新聞連載だったこともあってか、時事ネタも多く見られますが、少なくとも最近のアニメではほとんど見られません。『ドラえもん』でもそれは同様です。稀に、以前の内容を受けた回もありますが、それはあくまで例外だと思われます。


最後に、作風の問題。年数を重ねるごとに国民的アニメへと成長し、「古きよき日本家庭のあり方」みたいなのを提供し続けなければならなくなった『サザエさん』。元々児童向けのコミック誌連載からスタートし、同じく国民的アニメに成長することで、夢やら希望やらを題目として内容も保守的にならざるをえなかった(=つまらないというわけでは、無論ありません)『ドラえもん』。一方、原作が元々子ども向けでなく、性的表現も見られ、下品なギャグや大人を小ばかにする態度などでPTAから嫌われていた『クレヨンしんちゃん』は、この二つと比べれば、多少おちゃらけた企画でも許容し、作品世界にうまく取り込んでしまう魅力を持っているのではないか、と思います。その一環が芸能人の劇中出演や、他作品のパロディになっているんじゃないかと。詳しくは、クレヨンしんちゃん (テレビアニメ) - Wikipedia参照。


長年やってるとどうしてもマンネリってのは免れないし、ファンも変化を受け入れ難くなるんでしょうけど、逆に基本設定をしっかり遵守してれば、時事ネタを多く取り上げたりしつつ定型というのを求めず常に変化していく道もあるよなー、と思いました。しんのすけの大人社会に対するシニカルな視線は、そういうのをやるのに合ってたのかもしれませんね。