meshによるblog騒動から5周年目

http://d.hatena.ne.jp/CAX/20061023/blog
http://d.hatena.ne.jp/trivial/20061023/1161610163

かつては嘲笑と冷笑をもってウェブ日記系の人々に迎えられたこの言葉がいつの間にか市民権を得てしまい、しかも、かつて嘲笑と冷笑をもって迎え入れたはずの人々すらも平然とためらいなく用いているかのように見える


当時、まだサイトを開設する前(一月かそこらだけど)だったので、直接はこの騒動に言及しなかったものの、どちらかというと「嘲笑と冷笑をもって迎え入れた」側の人間です。


mesh騒動によって言葉を知りはしたものの、それとは関係なく周囲の人間が使っているから、という理由でblogを始める人は多かったと思います。ただ、この当時はMTとかbloggerとか、私みたいな素人には導入に手間がかかるものが多くて、大手のlivedoorはてなココログその他のサービスが開始するにはまだ間があった。それが変に黒歴史というかもにょる要因に繋がったというか。


「blog」「ブログ」、どちらの言葉も使うようになりましたが、まだ違和感は残っています。確かに、この言葉が輸入される以前と以降ではwebのオタク界隈も大きく変わりました。というか変わったように見えます。元祖アメリカのように、単なる日記でなく、既成のそれに対抗するような新しいメディアとしてのblogも、出てきているのかもしれません。でも、自分が今書いてるこれがblogかと言われると……。http://d.hatena.ne.jp/megyumi/20061014/p6でも書いたけど、多分まだtrackbackに馴染んでないせいでしょうね。自分の中で当時のツールとしてのblogに対するイメージってのは、自動で記事ごとのリンクを生成してくれて、コメントがつけられて、更新を楽にしてくれる、っていうものであって、今もblogの便利だと思うところってのはその辺で、あまり変わってなかったり。なんとなく、大っぴらに表明するほどではないけど、そういう気持ちを抱いてる人ってのはいるんじゃないかなあと思いました。


ちなみに、自分はというと、はてなダイアリーの最初の日記が、2003年6月でした。多分、それ以前にアンテナの方を利用していて、IDを取っていたためだと思われます。アンテナ、もしくは人力検索を利用していた関係で日記もはてなにした、という人は結構多いんじゃないでしょうか。当時は本家に書かないような日常雑記その他がメインでしたが、1年後には読書日記開始、05年2月に本家からこっちに移転してきて本格的に更新開始、という流れでした。


まあでも、奇しくも

「mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない」


と言われるようにはなった気がする。


関連リンクっぽいの

http://jba.ja.bz/
JBA解散の挨拶


http://www.fmmc.or.jp/japan-blog/about/index.html
多分上のとは関係ない。


http://dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2002/10/#181351
俺ニュースによる当時の特集。やや重。結構な数がデッドリンクになってますが……。あれ?でも日付からすると、これはmesh騒動以前ですよね?

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ugnewsさんから、俺ニュースのmesh反応記事は


http://dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2002/11/#111419


じゃないかとご指摘を受けた。その通りでした。お詫びしつつ、ugnewsさんにおきましては感謝を。ご指摘くださってありがとうございます。
ということは、最初にリンクしたあの俺ニュの特集はあの騒動とは関係なく、あの騒動の数日前にやってたことになるのだな。ううん、あの騒動が起こらなかったら日本でのブログ普及がどうなったか、ってのはちょっと興味あるなあ。