夏月の海に囁く呪文/雨宮諒/電撃文庫

夏月の海に囁く呪文 (電撃文庫 (1178))


携帯の電波すら届かない離島・夢久島については、ある噂が流れている。それは、「小さな入り江でとある呪文を唱えると、自分の本当の居場所に連れて行ってくれる」というものだった。人生の岐路に立った人たちによる、オムニバス短編集。


あらすじからなんとなく予感はしていたのだけど。1話は青臭さが今の自分では受け入れられなくて、あとはまあ、普通でした。


個人の願望に過ぎなかった創作が、電波に乗って、或いは言葉で伝播していく内に都市伝説みたいなものと化していく、その過程は面白かったです。それ自体は何の力も持たず、超常現象でも何でもないんだけど、にも関わらず登場人物たちが何か答えを得ている、というのはつまり、あそこで呪文を唱えれば何かが得られる、という自己暗示みたいなものに掛かってて、それによって元々決まってた答えを引き出されただけじゃないかとか、そういう妄想を楽しみました。エピローグでのあのオチは、照れ隠しにしてもちょっと空気読まな過ぎだろ、と思わなくもないですが。


しっかし、1話がどうにも、うーん。早い話が、主人公に感情移入できなかった、ってことに尽きるんですが。実際の一目惚れに理屈はいらないけど、読者にそれを納得させるだけの演出は必要で。そこらへんイマイチ読み取れなかったんですけど、単にこっちの読解力不足なのかなあ。やっぱり、自分には短編の面白さはまだまだ理解できない、ってことなのかしら。


その後で主人公が担任教師に対して激昂するくだりもいまいちピンと来ない。なんつうかなあ、別にこれはこの作品に限った話じゃないんですけど、大人と、ひいてはそれを見てる子どもたちの描き方に関して。生徒のことを分かったような口で語る教師のことを、同じく分かったような口でその生徒が語って、実際教師はその通りの行動を取ってて、子供たちは彼をやり込めて溜飲を下げるっていう一連の描写が。大人がやや可哀想っつうのもあるし、思春期の人たちって、そんな単純かなあ?とも思うんですけど。相手がこっちのこと理解してないのに、どうしてこっちが相手のこと理解してるって確信できるんだ、っつーか。視野は狭くとも、もうちょっと色んな考えがあるんじゃねーかなあ、って気がします。「シャナ」でも理不尽な体育教師をやり込める、みたいな展開あったけど、なんか、どうにもああいうのは面映いなあ。当時の自分がどうだったか、というのは今となってはもう無意味な質問(周囲にあまり理不尽な大人ってのがいなかったせいか、教師に対する反骨心とかはあまり育たなかったような気はする)だけど、今現在高校生とかの人は、こういう描写をどう思うんだろうか。


勿論、思春期の人たちを主人公に据えるなら大人が敵(つーか踏み台?)に回る、っつーのは、探偵小説で警察が大抵滑稽に描かれるのと同じく、もう長いこと変わってない役割に過ぎないんだろうし、それが嫌ならラノベじゃなくて一般文芸読め、って声がどこからか聞こえてきそうだけど。そういう話なのかなあ。「空の中」(http://d.hatena.ne.jp/megyumi/20051101/p3)みたいに、常識で大人が子どもを負かす話が読みたいのかというと、そうでもないし。や、あれは劇中で語られる「常識」に説得力を感じなかったせいもあるんですけど。……こういうこと言い出すのが、高二病の症状なのかなあ。んー、リアルバウトハイスクール、という単語がふと頭をよぎった。

他の人の感想

http://d.hatena.ne.jp/shaka/20060314#1142316378
http://d.hatena.ne.jp/tukanpo-kazuki/20060223#p1


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    \_| ▼ ▼  |_/ どうでもいいけど夏のマモノというと
      \ 皿  /    こっちが思い浮かぶ。
 カタカタ _| ̄ ̄||_)_  
   /旦|――||// /|
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   |_____|三|/